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フラッシュメモリの発明、DVDの生みの親、垂直磁気記録の発明、および、糖鎖遺伝子の発見について

山本 信雄

   私は、新しい技術革新の、また、新しい遺伝子の時代を切り開かれて名を馳せた次の方々と、奇しくも、同級として勉学に勤しみました。諸氏に敬意を払い、感謝し、諸氏の益々のご発展をお祈りいたします。

[1] フラッシュメモリ(Flash memory)の発明者 である 舛岡富士雄氏 (Dr. Fijio MASUOKA)同左同左2)( 東北大学電気通信研究所 名誉教授、前㈱東芝) は平成19年(2007年)度春の紫綬褒章を受章し、平成25年(2013年)度の文化功労者に選ばれ、さらに、平成28年(2016年)度秋の瑞宝重光章を受章されましたが、昭和41年(1966年)3月卒業の東北大学工学部電子工学科3年、並びに、4年で、私と同クラスでした。舛岡氏は静かな方で正しい姿勢で、熱心にじっと講義を聴いていました。

   舛岡氏のこの世紀の世界的な大発明は1980年代になされ、現在、私たちすべての人が直接的、間接的を問わず、何らかの恩恵を受けています。半導体分野におけるこの発明は、1940年代後半のアメリカのショックレー、バーディーン、ブラッティンの3人によるトランジスタ動作の発見、および、トランジスタの発明、1950年代における我国の西澤潤一先生によるPINダイオードおよび静電誘導トランジスタ等の発明、同じく1950年代における我国の江崎玲於奈氏によるトンネルダイオード(エサキダイオード)におけるトンネル効果の発見、および、そのダイオードの発明、1958年におけるアメリカのキルビーによる集積回路の発明、1990年代における我国の中村修二氏による青色発光ダイオードの発明、と並び称せられる、または、それ以上と言われています。
  フラッシュメモリは現在主にほとんどの携帯電話機、デジタルカメラ、デジタルビデオ、パーソナルコンピュータ、各種のメモリカード、ゲーム機等のメモリ媒体として用いられていますが、さらに近年、パーソナルコンピュータの内部メモリであるハードディスクドライブ(HDD)の主役の座を奪う可能性もあります。
   なお、西澤潤一先生は東北大学電気通信研究所で学位を取得した舛岡富士雄氏の恩師に当たります。

   フラッシュメモリの「フラッシュ」という名称は、「写真のフラッシュのように脚光を浴びる画期的な発明」という思いを込めて、舛岡氏ご自身が名付けられたと伺っています。
   その思想の元には、フラッシュメモリにおける強誘電体薄膜の浮遊ゲート層にトンネル効果によって電子が移動することで情報が記憶されるという形態を、丁度、普通のカメラの感光フィルムに画像が記録される形態になぞらえていたのかも知れません。

[氏の研究経緯と将来の夢]   学士会会報 2008-III(No. 870)号の86-90ページに氏自身が述べておられますように、氏の東芝での研究活動は順調に進んで来たわけではありません。1971年に東北大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程を終了の後、東芝の研究所で5年間ダイナミックRAMの開発を行いましたが売れ行きが思わしくなく、氏自らの希望で事業部に移り販売促進のための営業活動を1年間なさったそうです。その後、技術部の"工場の歩留まり部門"で、工場でどうしたら利益が出るのか、すなわち、どういうメカニズムで利益を出すのかを徹底的に計算をなさったそうです。そこで、営業活動でお客さんが何を求めているのかということが勉強になったこと、歩留まりについて工場に毎日行き深夜2時3時まで働いたこと、利益計算が何かということを会得したこと、の3つの苦しい経験がフラッシュメモリを発明できた、と述べておられます。
   以上のように、研究所ではなく、事業所で発明なさったのです。1987年に再び研究所に復帰したそうです。
   そういえば、1990年頃の同窓会名簿を見ると、同級生の大半が〇〇事業本部長、〇〇部長、研究所長、教授等になっていたのに、氏は未だ課長であったのですが、それは名簿の更新を氏がしなかったためなのか、本当に課長であったのかは確かめていません。
   1994年に母校である東北大学大学院教授に迎えられました。ここで氏はさらに新しい技術を国に何度も提案しましたが、文部科学省をはじめ国からは研究費を戴けなかったそうです。国の技術的イノベーション政策にもかかわらず,氏に研究費が支給されなかったことについて、氏が我が国の科学技術政策を憂慮していることがイギリスの雑誌「nature」に掲載されたそうです。本当に、我国の科学技術政策は貧困と思います。
   今、舛岡氏は「SGRを用いた集積回路」に、さらに、SGT(Surrounding Gate Transistor)における第4波の夢を乗せて研究にまい進しておられます。なお、第1波はトランジスタの発明、第2波が集積回路の発明、第3派がフラッシュメモリの発明です。更なるご成功を祈念いたします。(「半導体メモリの変遷と今後の展望 : 舛岡富士雄, 電気学会誌, Vol. 136, No. 1, 2016」を参照)

[米国コンピュータ歴史博物館に殿堂入りなど]   フラッシュメモリのの発明により升岡氏は、① 2010年に 米国 Computor History Museum (CHM) [米国コンピュータ歴史博物館]に、② 2011年に 米国 Consumer Electronics of America (CEA) [米国家庭電化]にそれぞれ殿堂入りし、さらに、③ 2012年に 米国 The Progress Medal, the highest honor of the Photographic Society of America (PSA) [米国写真学会最高名誉としての進歩勲章]を受賞しました。(和訳は当サイトの著者)
   以上は日本人として数少ない栄誉とのことです。(この記事は、「東北大学、電気・通信・電子・情報、同窓会便り, no.43, 平成25年1月号」に順記しています。)

[舛岡氏の発明が東芝のメモリー部門を救ってきた]   NE(日経エレクトロニクス)誌2015年5月号の82-83ページに「東芝のメモリー事業は、なぜ生き残りなぜ好調なのか」というタイトルで、好調の要因はフラッシュメモリーにあるということが書かれています。すなわち、舛岡富士雄氏が東芝時代に発明したフラッシュメモリーが東芝を救っているということです。他のメーカーはDRAM をはじめとした多くの半導体産業が、韓国、中国、台湾などの安売り攻勢に遭い衰退の一途を辿り、半導体部門を分社化したり、国内外の他企業に身売りしたりして、半導体部門の切捨てを行わざるを得なかったのと対照的に、独り、東芝の半導体部門だけが生き残って今なお好調なわけです。しかし、東芝自身は、舛岡氏の発明のお陰だとは余り認識していないようです。それは、東芝が舛岡氏に支払った裁判による特許権料がたったの8千万円に現れています。1桁以上高く支払うべきだった、と私は思っています。東芝は舛岡氏を社運を向上させた大功労者として、会社を上げて認識・認定し、表彰する必要があります。

   舛岡氏の学生時代の貴重なお写真を次にご紹介します。しばらくは掲載をためらいましたが、我等が英雄としての若き日の氏を、同級生としてご紹介する情熱に駆られました。もし、差し障りがありますれば、ご連絡戴ければ幸いです。直ちに削除いたします。

   これは、東北大学工学部電子工学科3年末の1960年4月、関西地方の工場見学が終わった春休みに、各自が自由な旅行をしましたが、偶然、坂本龍馬の銅像で有名な高知県桂浜で氏をはじめ同級生4人と出会ったときのスナップ写真です。お写真から分かりますように、映画俳優並みの美男子であることが分かります。
   なお、氏は群馬県高崎市ご出身で、高校も県立高崎高校のご卒業です。県立高崎高校は前内閣総理大臣・福田康夫氏のお父様の元内閣総理大臣・福田赳夫氏(故人)のご出身校でもあります。

(クリックすると拡大でご覧なれます)
高知県桂浜にて 1965年4月4日(日)
右が舛岡富士雄氏、左が同級のご友人の
浅見誠治氏(後の仙台工業高等専門学校
名誉教授)。同級の山本1信雄(本ホームページ
のスタッフ)が撮影。
高知県桂浜にて(その2) 1965年4月4日(日)
右から順に、舛岡富士雄氏、同級の山本信雄、
続いて、同級の青木秀明氏(後に松下電器産業㈱)。
同級の浅見誠治氏が撮影。

[2] DVD の発明者、または、生みの親 と言われる 山田尚志氏 (Dr. Hisashi YAMADA) (元㈱東芝)は、私と1962年度入学における東北大学工学部の教養課程1年4組、並びに、2年4組の同クラスであった。山田氏は明るく社交的で、休講の時間いつの間にか野球道具を携え、「オイ、みんな、ソフトでも、しに行こうや。」とクラスを誘っていました。また、並外れた聡明な見識を備えていました。

(クリックすると拡大でご覧なれます)
東北大学教養部(通称、川内分校)とその東に広がる仙台市街
1965年4月16日(金)撮影


"仙台市原ノ町小田原高松上"の丘から南方に広がる仙台の夜景
1965年5月11日(火)撮影

[3] 2013年11月3日、東北大学名誉教授 岩崎俊一先生が天皇陛下から文化勲章を授与されました。1977年に発明され、2005年から実用化された垂直磁気記録の功績によるものです。ハードディスクをはじめ従来の記録装置をすべてこの垂直磁気記録に置き換えられた革新的な超高密度の記録装置として全世界を席巻せっけんしています。
   私が東北大学工学部電子工学科に進学が決まった1963年10月から半年間、電気・通信・電子工学科の合同講義で計測工学を岩崎先生から受講していました。このとき、先生は電気通信研究所の教授昇格直前であったようです。講義内容からは先生のご専門は分からなかったのですが、電子工学科の同級の鈴木静雄氏が卒業研究として岩崎先生の研究室に1965年に配属され、彼の卒業研究テーマが「垂直磁気記録の研究」で、新しくて非常に難しい研究だと聞かされた私は「フーン?大変だなあ。」と思った記憶があります。少なくとも、その1965年当時から、すでに先生は垂直磁気記録のご研究を始めておられたことになります。


[4] 糖鎖遺伝子の医学的発見 に対して2005年度の紫綬褒章を受賞された谷口直之氏(Dr. Naoyuki TANIGUCHI) (大阪大学大学院医学研究科名誉教授、理化学研究所基礎研究所グループディレクター、大阪大学産業科学研究所招へい教授)は、2011年6月11日に第101回学士院賞を受賞されました。

   このことについて谷口氏は札幌南高校同窓会誌である六華だより第80号(2012年3月1日発行)に、「(前略)糖鎖は糖転移酵素によって単糖(グルコースなど)が順次、付加されて作られます。糖転移酵素の遺伝子を糖鎖遺伝子と呼びます。糖鎖は細胞同士の情報伝達、受精や発生の過程のほか、ウイルスや大腸菌の毒素の細胞への進入、がんの転移、糖尿病、肺気腫、筋ジストロフィーなどの多くの病気の発症に関わることが明らかになっています。私は30年ほど前に、正常の肝臓にはなく、肝がん細胞に特異的な糖鎖を発見し、それを作る糖転移酵素とその糖鎖遺伝子を世界に先駆けて発見しました。その後、5つの糖鎖遺伝子や糖転移酵素の働きを調べ、特定の糖鎖ががんの転移を抑制したり、固体の成長、発育に必須であることや肺気腫の発症に関わることを発見しました。(中略)このような基礎研究が、一部はがんの診断に有用なマーカーや、がんの抗体医薬に直接、間接的に貢献したことなどが受賞の対象になりました。(後略)」と述べられています。

   谷口氏は、北海道立札幌南高校の第11期卒業生である3年8組の私と同クラスであり、穏やかな方で、学年最優秀の1人であった。


   以上、もし、ご覧戴いている皆様に正確な情報がございましたら、ご連絡ください。修正いたします。

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updated: 2010.10.28, edited by N. Yamamoto
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