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東日本大震災(東北関東大震災)と東京電力㈱福島第一原子力発電所大事故の放射能  

山本信雄

    2011年3月11日(金)14時46分に千年に一度と言われる東日本大震災が発生しました。その数十分後に、史上まれに見る大津波が三陸から千葉県にかけておそい、沿岸各地を壊滅かいめつさせ、2万人余の犠牲ぎせい者を出しました。東京電力㈱福島第一原子力発電所では、この大津波により原子炉冷却用電源が失われ、稼動かどうしていた原子炉のすべてがメルトダウンしてしまいました。その結果、数回の水素爆発により莫大ばくだいな量の放射性物質が放出し、東北と関東が深刻しんこくな放射能汚染おせん見舞みまわれました。
    私はかつて仙台市に住み、被災した東北各地にも足を運んでいました。現在住んでいる茨城でも大きな影響を受けました。今回の大災害について、私が体験したこと、感じたことを、東北の遍歴へんれきをも含めて、断片だんぺん的にしるしたものです。

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學士會会報
March No.893 2012-Ⅱ
   ず、「地震」と「震災」の違いを、東京大学地震研究所 地震予知研究センター長、平田 なおし教授が、學士會がくしかい会報(March No.893 2012-Ⅱ)77ページに書かれた「2011年東北地方太平洋沖地震とその後の地殻活動」の最初に説明なされています。これを要約しますと、つぎのようです。

   地震の名前の命名権は気象庁が持っていて、文部科学省にも伝えられます。これは、自然現象としての名前です。一方、自然現象によって誘発された社会・経済現象としての震災の名前が政府によって名付けられ、この名前が私たちがよく用いる通称となっています。

   今回の「東日本大震災」という名前は震災名で、地震の正式な名前は「東北地方太平洋沖地震」なのです。   (なお、地震直後の震災名は「東北関東大震災」でした。)
   また、1995年の「阪神・淡路大震災」は震災名で、地震の名前は「1995年兵庫県南部地震」です。
   さらに、1923年の「関東大震災」は震災名で、地震の名前は「1923年大正関東地震」です。 』

   (2012年3月8日(木)追記)

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夢に見た海面上昇のイメージ

(1) 私は以前から次のような夢を時々見ていました。太平洋岸のそばの40メートルくらいの高さの高台に車で来ると、海面が高台すれすれに来ていました。海面がおだやかなことが津波と違っていましたが・・・。その夢を見るたびに印象に残っています。それが、2011年3月11日(金)夕方に発生した東日本大震災では、テレビニュースで放映された 宮城県東松島市野蒜のびる字下沼の大津波(映像の4分の1から3分の1に進んだ部分) にそっくりでした。なお、この映像は東松島市野蒜のびる字下沼の 野蒜築港資料館その2) です。東松島市内は惨状さんじょうきわめ、この付近のJR仙石線は1 年っても復旧せず、代行バスが運行しているよし

(2) 1986年4月26日にソビエト連邦(現 ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所が大事故を起こしましたが、その直ぐ後に私は出張で大阪駅北の梅田貨物駅あとに建ったホテルに向いました。りしも、やや強い雨が降っていて体がれないようにかさをさして歩いていましたが、うっかり左手首に雨がかかってしまいました。そのときです。今まで感じたことのないような、何かピリピリピリという刺激しげきのようなものが感じられたのです。直ぐに宿泊ホテルに入って丁寧ていねいに洗い流して、テレビを点けると、「現在降っている雨からかなりの放射能が観測されました。」と言っているではないか。西日本各地にかなり強い放射能雨が降っていると言うのです。放射能雨が降るとは夢にも思っていませんでしたから、先ほどのピリピリ感はそれに関係あるに違いないと思いました。気のせいかもしれませんが。
   その後、長年上記の事は忘れていましたが、2010年秋頃から、普通の雨にも敏感びんかんになり、なるべく雨粒あまつぶに当たらないようにし始めました。何かの予感だったのでしょうか。
    同じようなことが (7)、および、(83)項後半にも書き加えてあります。

(3)  東日本大震災当日の2011年3月11日(金)は朝からその日に限り、どういう訳か、体全体が重くて、気持ちもよくありません。その日の14時に、茨城県ひたちなか市足崎たらざき芳賀はが電機商会の芳賀久男さんと助手の方が茨城県ひたちなか市馬渡まわたりにある私の自宅のテレビアンテナを張り替えに来ていただきました。突然、屋根の天辺てっぺんで「ガッシャーン」と大きな音がしたのです。

ひたちなか市にて  2012年4月12日(木)撮影

那珂なか市にて   2011年10月14日(土)撮影
こわれたかわら屋根   (茨城県)

新しいアンテナを屋根に運び込む作業をしていた助手の方がそれを落としたらしく、芳賀さんに「かわらが 1 枚割れた。」と言っています。そして、助手の方は私に「これと同じ瓦がありますので、取りに行ってきます。」と言って取りに出ました。残った芳賀さんが新しいテレビアンテナを設置し終わり、庭にりて、地上ディジタル対応の新品のテレビを箱から出して、居間いまに運び込もうとしていたそのとき、14時46分に、大地震がおそってきたのです。始めは、いつもの地震のれかと思ったのですが、揺れがなかなかおさまらず、そのうち、相当の大揺れとなり、私の感覚では5分位続きました。

自宅の京壁きょうかべ造りに
入ったヒビ割れ

2011年12月12日(月)撮影

    しかし、大震災になるほどの揺れには私は感じませんでしたが、近所のガラガラという屋根がわらが落ちる大きな音などで、パチッと目がめたようになり、見ると、前の家々の瓦が次から次へと地面に転がり落ちています。停電になりました。芳賀さんは縁側えんがわで新しいテレビを守るように全身でテレビを支えています。私は「結構けっこうな揺れだなあ。」とみょうに感心しつつ、テレビをえ付ける場所で手を柱に支えながら、芳賀さんとたがいに顔を見合わせていました。私の妻は、食器棚しょっきだなから食器が落ちないように食器棚の観音扉かんのんとびらを押さえています。それでも、十数個の食器が床に落ちて割れました。パソコンのディスプレイが転がり落ち、棚から物が転がり落ち、廊下ろうかは足のみ場がないほど。やっと、揺れが収まったと思ったら、また大きな揺れがおそってきて、り返し、繰り返し、何回も余震が続きます。
    公式発表によると、震源地は日本海溝近くの宮城県沖から始まり、連動して、茨城県沖まで複数の震源を有するマグニチュード 9.0 の千年に1度といわれる巨大地震だそうで、日立市で震度 7 弱、水戸市、ひたちなか市では震度 6 強でした。ちなみに、東京都心では震度 5 弱でしたが、これでも九段会館の天井落下によって死傷者が出ているなど少なからぬ被害がありました。

こわれたかわら屋根の修理
茨城県ひたちなか市

2011年8月7日(日)撮影

    そのうち、助手の方が車で戻ってきました。「道路は各所で亀裂きれつが入り、ブロックへいがあちこちで倒れて、やっと車で来た。」と言っています。度重たびかさなる余震の合間あいまって、助手の方が屋根に登り、無事、さっき割れた瓦を取り替えてくださいました。ほかの瓦には地震の被害はなかったということで安心。停電でもあり、今日の作業はこれで終えました。なお、我が家の被害は、京壁きょうかべせた作りの壁2枚に、縦に亀裂が入った程度でみました。
    後で考えると、地震が来る30分前にうっかりミスで瓦が 1 枚割ったことが、何か地震の前触まえぶだったようにも思えます。その40分後には、近所の家々の瓦が 1 枚どころか、大量に割れて落ちていったのですから。偶然ぐうぜんにしても、一寸ちょっと不思議。
    また、我が家の駐車場の乗用車は十分じゅうぶんにブレーキをかけて止めていたはずですが、20センチ前方にジャンプしたように移動していました。地震恐るべし。


全壊ぜんかいの家屋
茨城県ひたちなか市にて
2011年3月20日(日)撮影

    この地震発生から数10分後、東日本の太平洋沿岸に観測不可能なほどの高さの大津波が襲って我国史上最大の津波災害となったのは、ご周知の通りです。
    数日後、福島第一原子力発電所事故による人工放射性元素(ヨー素131、セシウム137、セシウム134など)が福島県と関東各地にばらかれ、問題となりました。健康上は問題ない、と報道では言っていますが、雨には当たらないのが無難です。
    どの報道でも、「想定外」と言っていますが、本当にそうだろうか。私は「想定内」と思っていまして、なぜ今回のような大津波の対策を考えて来なかったのか、といぶかっています。 それは、かつての明治時代と昭和時代の三陸大津波では、津波の高さ20メートル以上、岩手県宮古市姉吉地区での 最高到達点が標高 50 メートル近くを記録 していることを前から私は知っていたからです。今回も、NHK総合テレビテレビ朝日の報道ステーションを始め、民放各社で取り上げていました。あらゆる分野の専門家が知らないはずがない。標高 50 メートル近くまで津波が、かつて、来ていたのですよ。以来、この地点より下には家を建てることがなく、今回の大津波には犠牲者が少なかったそうです。また、今回の大津波はこの地点まで達しなかったそうです。
    ただ、昔、このような大津波が来ることがなかった石巻などの仙台湾から南の海岸線は想定外と言えるかもしれません。
    なお、岩手県と宮城県の大災害地となった多くの箇所かしょに私は行ったことがありますので、遠くの話ではありません。

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仙台市若林区藤塚の貞山堀ていざんぼりにて
同左

仙台市若林区藤塚から宮城県
名取市閖上ゆりあげへ名取川を渡し船で
渡るための藤塚渡船場とせんじょう
宮城県名取市>閖上ゆりあげの渡船場から名取
川をはさんだ対岸の藤塚渡船場をなが
る。渡し船も繋留けいりゅぅされています。
仙台市若林区藤塚から名取市閖上ゆりあげをサイクリングで訪問し、カメラに収めた。
1965年5月9日(日)14時 天気:薄曇り
なお、2011年3月11日(金)14時46分の東日本大震災による
大津波で、この付近は壊滅かいめつした


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東名駅で仙石線電車を下車
東北大学工学部電子工学科八田研究室の
一同が奥松島の大高森へハイキング

1966年春の大潮の朝
左から、私(当時MC1年)、山崎氏(東北
大学技官)、田所嘉昭氏(学部4年、後、
豊橋技術科学大学名誉教授)、手島健夫氏
(MC2年、後、東北大学酵酸菌研究所)
仙台からサイクリングで東名付近の海岸に来る
1965年秋の夕方





宮城県桃生ものう成瀬なるせ町(現在の東松島市)の国鉄(現在のJR)仙石せんせき線・東名とうな駅付近
なお、2011年3月11日(金)14時46分の東日本大震災による
大津波(映像の4分の1から3分の1に進んだ部分) で、この付近も壊滅かいめつした
[この映像は東松島市野蒜のびる字下沼の 野蒜築港資料館その2) です。]
東松島市内は惨状さんじょうきわめ、この付近のJR仙石線は
1 年
っても復旧せず、代行バスが運行しているよし
2015年5月30日(土)に仙石線が山側に路線を移して4年ぶりにやっと全線再開しました。

(4) 福島第一原子力発電所の第1号機、第3号機、および、第2号機が、それぞれ、2011年3月12日、3月14日、3月15日、および、3月20日に水素爆発を起こし、そのときに関東地方全域にも放射性物質が、ばらかれ、ヨー素131やセシウム137やセシウム134による放射能が水道水から、また、ヨー素131による放射能がホウレンソウなどの野菜から、それぞれ、検出されました。特に、3月15日未明から朝にかけての放射能放出は、大量の放射能がばら撒かれ、南東風の風に乗って、福島県双葉町、大熊町はもちろん、浪江なみえ町、飯舘いいたて村、川俣かわまた町、果ては、月舘つきたて町、霊山りょうぜん町、福島市まで、北西方向に広大な帯状地帯が甚大じんだいな放射能汚染をこうむることになりました。関東地方でも高い放射線量が観測されました。さらに、注意すべきは、3番目の3月20日の爆発がどういう訳か報道がなされませんでしたが、このときが最大の放射性物質の放出となっています。報道のためらいは政府の圧力からかもしれません。

   このような時機の2011年3月15日以降、福島第一原子力発電所から吹きつけてくる北東風が直接当たる我が家の庭の東側から何か消毒液のにおがし始めました。この匂いは最近ではいだことがありません。が、40年前までに広く普及していた消毒薬のヨードチンキのような匂いに近い。当初は、犬を飼っている近所の家の方が消毒液をいたのだろうと思っていましたが、日を追うごとにそうではなさそうだと分かってきました。その匂いは地面から発しているようです。なお、私たちは消毒液そのものを持っていません。2週間経った頃には匂いは4分の1程度に減りましたが、それでも少し匂っていました。この減り方は、ちょうど放射性ヨー素131の半減期と同程度のように見えます。
   ということは、
この消毒液の匂いは、3月15日未明に福島原子力発電所から大量にばら撒かれた放射性ヨウ素131が庭に落ちて、庭に私が毎日ばらいているトマトなどの野菜くずと化学反応を起こしたその匂いではなかったのかな。とさとった訳です。そして、放射性ヨー素131の半減期8日を遠に過ぎた3週間経った頃には匂いはほとんどなくなりました。

〔2017年9月5日に追記〕   「3月14日から15日にかけて放射性ヨウ素131が大量に放出された事が後に判明した。」 という記述が、ウィキペディア  「福島第一原子力発電所事故」 の中の 「放射性物質の放出、拡散と汚染の状況」 という見出しで始まる文中にあります。

   (翌年 2012年3月25日あたりの2,3日間、かすかですが、そのときの消毒臭を感じましたので、ひょっとして、2011年の時のにおいは、放射性ヨウ素131の匂いではなくて、となり近所、または、近くの水田にかれた消毒液の匂いだったのかも知れません。これも確かめようがありません。2011年3月15日に消毒液が撒かれた日が、水素爆発の日と重なっただけなのか。???   これ以降、この匂いは全くありません。)

放射線量とその測定などについて、次の文献から引用して参考にて示します。

〔文献〕 谷垣 実(京都大学): 「GPS連動型放射線自動計測システム ―KURAMA/KURAMA-IIの開発と運用― 」, 電気学会誌 No.9, Vol.137, pp. 622-625, 2017. より抜粋。


(i) 放射線の測定方法と主な検出器

    原子力災害では人間の五感では知覚できない放射線、放射性物質への対応が必要であり、適切な放射性物質の測定や評価が重要である。
    放射線の種類は多岐にわたるが、重要なのは電離や励起作用を起こす点で、現代の検出器はこれらを通じて物質に与えられたエネルギーを電気信号に変えているといえる。
    現在、主に環境モニタリングで使われている検出器としては、ガイガーカウンタとしてよく知られるガイガーミュラー計数管、京都大学で開発された放射線モニタリング車載器のKURAMA/KURAMA-IIが採用するシンチレーション検出器、食品検査等で使われるゲルマニウム検出器で有名な半導体検出器がある。ガイガーミュラー計数管は、放射線が管内のガスを電離、電子雪崩で増倍しパルス信号として取り出す。なお、増倍過程で放射線のエネルギー情報が失われることに注意が必要である。シンチレーション検出器は結晶が放射線から受け取ったエネルギーに比例した強度の蛍光(シンチレーション)を出すことを利用、発光回数と発光ごとの光量で放射線の入射数とエネルギーを測定する。半導体検出器はシンチレーション検出器の発光の代わりに生成エネルギーが小さい電子-正孔対を利用しており、エネルギー分解能が高い。

(ii) 放射線の測定量 ~ Bq, Gy, Sv

    このようにして検出した放射線はさまざまな観点から評価される。主に環境や人体への影響に関連する測定量について簡単にまとめる。放射線の検出能力(放射能)は、1秒あたりの原子核の壊変数を放射能(単位 Bq 〔ベクレル〕)で表す。通常、壊変時に複数個の放射線が放出され、放射線の発生数とは一致しない。放出する放射線の種類やエネルギーは核種ごとに決まっており、エネルギースペクトルは核種同定に極めて重要となる。
   放射線から物質が受け取ったエネルギーを吸収線量(単位 Gy 〔グレイ〕= J/Kg )という。これに放射線の種類ごとの生体感受性を表す荷重係数(β線およびγ線は1、α線は20など)を掛けたものが線量当量(単位 Sv 〔シーベルト〕)である。特に臓器の線量当量を等価線量(単位 Sv )、等価線量を確率的影響(ガンや遺伝的影響)で重み付けし足したものを実効線量(単位 Sv )という。以上が放射線防護の指数、いわゆる防護量となる。
    しかし、防護量は事実上実測不可能で、防護量と関連付けられた実測可能な量、いわゆる実用量で評価する。
    実用量で一般的なのは周辺線量当量 H *(10) で、体組織と同じ元素比率、密度の直径 30 cm の球(ICRU 球)の表面から深さ 10 mm での線量当量である。多くのサーベイメータの測定対象であり、実験室で放射線源を取り扱う場合のような体前面からの照射で実効線量に対し安全側の値を与える。モニタリングポストの 1 Gy = 1 Sv という換算は、人体の全方向からの均等照射時の実効線量に対し安全側である。ポケット線量計では装着時の人体の吸収散乱を考慮し、装着点での軟組織の深さ 10 mm の線量当量である個人線量当量 Hp(10) を測定する。このように、サーベイメータとモニタリングポスト、ポケット線量計の値は単純な相互比較ができない。また、放射能、吸収線量、線量当量等の換算には核種や放射線、照射条件他の詳細な情報が必要となる。

(iii) 東電事故について

    ここで東電事故について環境放射線の観点からまとめる。
    今回の事故における環境汚染はセシウム134(半減期2年)、セシウム137(半減期30年)、ヨウ素131(半減期8日)によるもので、火災で燃料自体が大量飛散したチェルノブイリ事故とは大きく異なる。東電福島第一原子力発電所から北西方向に伸びる特徴的な高線量地帯は 2011年3月15日未明から朝に放出されたセシウム134とセシウム137の降雨沈着によると考えられている。ヨウ素131はすでに環境中から消失し観測できないが、事故時の炉の燃焼状況等からチェルノブイリの1割程度放出されたとみられる。
    さて、環境中の空間線量率は、実質セシウム134、セシウム137、ヨウ素131のγ線で決まっていると考えてよい。これらの核種からのβ線の平均飛程は空気中で概ね数十 cm である。一方、γ線の平均自由行程は 50 ~ 100 m 程度のためである。

(iv) 東電事故における問題点

    当時の国の防災指針は、高精度で詳細な SPEEDI (System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information : 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の予測に基づく事象進展前の早期対応を目指しており、モニタリング活動は SPEEDI のためのデータ収集と予測結果の確認・修正と位置付けられていた。
    しかしながら震災は、道路や電力、通信回線、モニタリングポストなど予測データ収集に必要なインフラを破壊した。大量の放射性物質の放出は、原発からわずか 5 km の位置にあった情報集約や配信拠点の原子力センターを機能停止させ、想定を大きく上回る広域かつ深刻な汚染を引き起こした。広域モニタリングに必要な航空機サーベイは機材確保や航路調整に手間取り、原発から 80 km 圏内の測定完了は発災1か月半後の4月末だった。放射性核種の分布状況の大規模調査は6月に行われたが、すでに半減期8日のヨウ素131はほぼ消失していた。
    結局、事故直後のモニタリングは、生き残ったモニタリングポストやサーベイメータ当での人海戦術が中心だった。計測機器のほとんどはスペクトルデータ取得ができず、たとえば、ヨウ素131の分布状況の情報不足で、住民の甲状腺被ばくの定量評価が困難となっている。
    このように、想定に最適化された整備が行われた結果、想定外の状況下で次の一手が適切に打てなかった。

(5) さらに不思議なことは、3月20日の水素爆発以降、茨城県ひたちなか市最大、毎時 1.5 マイクロシーベルト(平常値の 40 倍)の放射線が観測されましたが、その日以来、天気がよくても見る景色が何かくすんでいます。別の言葉で言うと、しらけて見えるという感じです。[註2]写真でいうと色が飛んでいるという状態です。すなわち、生気がなく無機質な感じに見えるわけです。さらに、何か本能的な恐怖感がまわりにただよっている、という感じなのです。気のせいかもしれませんが。しかし、それで、放射線が飛びっているという認識になります。放射線の量子りょうし(ベータ線である高速電子、または、ガンマ線である電磁波)が可視光線の光子こうしと相互作用しているのではないか。福島県の福島第一原子力発電所敷地内や避難地域のテレビ画像でもこの感じが伝わってきます。当方での震災期間の写真が少ないですが、例を下に示します。
    [註2]   その放射性ヨウ素131の半減期である約8日の数倍の期間を過ぎた頃からは、白けた感じが消えました。白けた感じは、ヨウ素から放射するベータ線(高速電子)や崩壊ほうかい後のキセノン131から放射するガンマ線(極端に波長の短い電磁波)の影響だったのか?その後のセシウム137やセシウム134から放射するベータ線や崩壊後の原子から出るガンマ線では、なぜこの白けた感じが出ないのか?。不思議。それとも、単なる私の視覚による錯覚さっかくか?。

    ヨウ素131が半減する時期の約7倍の5月10日にはその現象がほとんど消え、周りの景色を見ながら、自分の頭(心)に問いかけても、「うん、大丈夫だ。放射線はほとんどない。」と安心できるのです。それでも放射線量が毎時 0.15 マイクロシーベルトもあり、何もないときの平常値の 4 倍で、この後ほとんど下がっていません。ということは、半減期の長いセシウム137やセシウム134が残留しているものと思われ、長期間続きそうです。このまま1年間私たちが浴びる放射線積算量は計算すると 1.3 ミリシーベルト以上となり、これは普通の人が人工放射能を浴びてよい上限の国際基準 1 ミリシーベルトを超えています。
    上述の現象のように、人間の視覚をはじめ諸感覚は、微量な数値では表せないほど敏感なのではないだろうか。でも、放射線量が毎時 0.15 マイクロシーベルト以下では上記現象が感じられなくなるようです。???
   福島第一原子力発電所敷地内で作業をされている方々は勿論もちろん、当発電所から半径20キロ以内の警戒区域、年間積算量が毎時 20 ミリシーベルトを超える計画的避難区域、そこまで高くないけれども放射線量の多い福島県中通なかどおり地方は大変ですね。どの程度まで放射線積算量を浴びると危険なのかは、データがないためにほとんど分かっていないそうです。
   放射線量が毎時 0.15 マイクロシーベルトを下回った茨城県ひたちなか市では上記の現象が消えましたが、その6月5日(日)に常磐自動車道を東京方面に向かい、茨城県南部の守谷サービスエリアに近づくにつれ、景色が何かしらけて見えるようになりました。そのサービスエリアでの休憩中でも同じです。
   [註3]守谷サービスエリアから千葉県三郷みさと流山ながれやまかしわ、松戸市にかけては放射能レベルがやや高いホットスポット地域だそうで、それを裏付けているように思われました。私は未だ福島県内の放射線量の高い地域に行っていませんので、この現象については未だ何とも言えませんが、テレビで見る福島第一原子力発電所の屋外の映像は異常に白けて見えることにお気付きになりませんでしたか? 不思議です。どうもこの現象は放射性ヨウ素のときだけだったようです。その後の放射性セシウムのときはこの現象がありません。??
    [註4]   5ヵ月後の2011年11月17日(木)に放射線線量計をたずさえて守谷サービスエリアに立ち寄ったときの放射線量は毎時 0.21 マイクロシーベルトを示しました。東京都内では毎時 0.10 マイクロシーベルトを下回り、神奈川県藤沢市辻堂つじどうでは毎時 0.04 から 0.05 マイクロシーベルトで、ほとんど平常値を示していました。
    [追記] 上記(6)項の線量について、最初の「毎時 1.5 マイクロシーベルト(平常値の 40 倍)」は新聞報道によるもので、それ以外の各線量値は、下記(13)項に示した放射線量計による実測値です。



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茨城県ひたちなか市松戸町
2011年3月17日(木)16時
向いのお店でパンの特別配布が
あり、私達は大変助かりました。

なお、ひたちなか市での放射線量
0.31 μSv/h で正常値の 8 倍。
ひたちなか市第3中学校
2011年4月13日(水)12時
放射線量は 0.21 μSv/h で
正常値の 5.5 倍。
ひたちなか市磯崎町
2011年4月21日(木)14時
津波が来た境目が見られます。
この地点の標高が
4.4 メートル
なので、この高さの津波が来た
いうことです。
放射線量は
0.15 μSv/h で正常値の 4 倍。
見る景色が放射能の影響なのか、気のせいなのか、どこを見ても何かしらけて見えます。

(6) 以上、2011年3月11日(金)に大津波によって福島第一原子力発電所[註1]が大変なことになり、最悪な「レベル 7 の深刻な事故」として2011年4月12日に発表されました。
    私は震災以前の2010年あたりから、1990年から2005年に数回にわたってドライブで訪問した福島県川俣かわまた葛尾かつらお都路みやこじ飯舘いいたてなつかしんで再訪問したいと思い続けていましたが、自治会役員の仕事で行く機会をしっしていました。
    ところが、その地は放射線量が高く、2011年4月11日に計画的避難ひなん区域に指定され、そちらにはもう行けなくなってしまいました。「再度訪問したい」と思い続けたことは、何かの予感だったのでしょうかね。あの美しい阿武隈あぶくまゆるやかでのどかな山間やまあいのドライブに行けなくなったではないか。どうしてれよう。
    ただ、2010年内に、福島県郡山こおりやまの親戚と知人を訪問でき、また、かねてから希望していたのですが、磐梯ばんだい吾妻あずまスカイライン浄土平じょうどだいらにある吾妻あずま小富士こふじの火口を1周しました。2011年3月11日の大津波による福島第一原子力発電所の大事故以降、これら福島県中通なかどおり地方は計画的避難対象地域ほどではないにしろ、放射線レベルが高く、この状態が数年、または十数年続きそうなので、もう行くことはないでしょう。前の年に行っておいてよかった。

    福島第一原発事故以来6年以上経過した2017年7月現在、ここは今なお、帰還困難区域指定のままで、立ち入り禁止になっています。

   [註1]   初期の頃、「双葉ふたば原子力発電所」と呼称こしょうしていたように記憶していて、私は今までそう呼んで人と話をしてきました。しかし、インターネットで検索けんさくしても、そのような呼称は全くないので逆にビックリしています。何かの錯誤さくごだったのか??
    なお、2012年3月18日に「 Google earth (グーグルアース)」で「福島第一原子力発電所」を検索したところ、日本名では、「東京電力㈱福島第一原子力発電所」と正式名が書かれている一方、英語名では「Nuclear Power Plant I, Futaba district」と、地域名の「双葉」が入っているものの「福島」の県名は入っていません。他方、ロシア語名や中国語名では、いずれも「福島」の名が入っていますが、「双葉」の地域名は入っていません。
    さらに、「福島第二原子力発電所」については、日本名のみ書かれていて、外国名は一切いっさい書かれていません。

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福島県相馬そうま飯舘いいたて長泥ながとろ地区の国道399号線の峠から南方に広がる阿武隈あぶくま高地の雄大ななが
(標高670メートル地点にて)   1991年8月
眼下に連続するヘアピンカーブが見られます。 ふもとに長泥の集落があります。 残念ですが、
ここは計画的避難区域内です。 何と、ここ長泥地区だけが 帰還困難区域
再編
されて、 2012年7月17日(火)午前0時に一般人の立ち入りが禁止となり、
封鎖ふうさ されてしまいました。

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(人物は私)

(左画像のズーム)
ふもと
長泥ながとろの集落があります。
飯舘いいたて 長泥地区 の住民が
東京電力に集団提訴
上図と同じ峠にて      2000年12月17日(日)夕方
計画的避難区域内です。
その後、2012年7月17日(火)午前0時に
帰還困難区域に再編されてしまいました。


福島県相馬郡飯舘村と福島県
伊達だて月舘つきたて町(現 伊達市月舘町)
の境界から100メートル月舘町に入
った国道399号線
   標高500メートル
1991年8月
ここは計画的避難区域から
わずか100メートルはずれています。


福島県双葉郡葛尾かつらお浪江なみえの境
にある日山ひやま(標高1057メートル)
の葛尾村側で見た大山桜オオヤマザクラ
(関東以南の山桜に比べて高木で
花が大きく紅色が濃い)

標高600メートル付近
1993年5月9日(日)
計画的避難区域内です。

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2010年8月8日(日)磐梯吾妻ばんだいあづま国立公園の吾妻小富士あづまこふじを一周する。
左画像にある一切経山いっさいきょうざん周辺の噴気ふんきは2008年11月から続いているそうだ。
もしかして、この噴気は、今回の大地震の前兆ぜんちょうだったのかも知れませんね。
(人物は山本暁子さん)      左は標高1700メートル、右は1660メートル。

浄土平じょうどだいら駐車場の入り口で噴気に関する注意書きが配布された
2010年8月8日(日)

(7) 2011年4月27日(水)のTBSテレビ11時から始まるヒルオビという番組で、ある新聞記事にった福島市内での女子高校生の会話が紹介されました。「雨にれると何かピリピリするね放射能 かしら。早く洗わないと。」とあります。
    前記 (2)で記したチェルノブイリの場合と同じように、本当にそうなのかもしれません。放射線による軽い火傷やけどのような刺激なのかも知れません。
    同じようなことが、私のすぐ近くで話し合っていた人々の話題をもとに(83)後半に記してあります。

(8) 素粒子物理学、核融合、量子統計力学の権威で名古屋大学プラズマ研究所(現在は、独立行政法人 核融合科学研究所に発展的移行)の初代所長の伏見康治先生が執筆された「量子統計力学」の序論に次のことが記されています。
    コップ1ぱいの海水をみ、水分子の1個1個にしるし(マーク)を付けたとします。それを海に戻して世界中の海水を万遍まんべんなくかき混ぜ、再び、コップ1杯の海水を汲んだときに、印の付いた水分子は何個入っているでしょうか。答えは約 100 個だそうです。100 個も入っているのですよ。コップ1杯と言えども、それだけ水分子の数が天文学的数字であることを物語っています。
    もう一つ、アルキメデスの最後にいた一息ひといきの空気分子に印を付けたとします。その分子が現在まで空気分子として残っていると考えたときに、私たちが1回の呼吸で吸い込む空気の中に印を付けた空気分子は何個入るでしょうか。答えは 10 個だそうです。
    2011年3月の福島第一原子力発電所の大事故で、やむを得ず放射性物質(放射性ヨウ素131や放射性セシウム137やセシウム134などで構成される)で汚染おせんされた海水をれ流しましたが、全世界の海水に汚染物質の分子が、数としては大量にばらかれてしまった、ということです。

(9) 自然界のセシウムは、100パーセント放射性がなく安全なセシウム133です。セシウムはナトリウムやカリウムと同じアルカリ金属です。セシウムの融点ゆうてんは28℃台なので、夏は液体、冬は固体の黒ずんだ金色の金属です。空気中の酸素との化合の反応性が高いので、ガラス製の小さな真空アンプルに密封みっぷうされています。
   私が東北大学大学院博士課程の1968年、名古屋大学(旧)プラズマ研究所で共同研究をしていました。そこでは、セシウムの入ったアンプルを真空引きの実験装置に投入して、熱を加えてセシウム蒸気を発生させると同時に、セシウムをイオン化してセシウムプラズマを生成していました。セシウムといえば、当時の水爆実験でできる人工放射性元素のセシウム137とストロンチウム90が問題となっていた時代です。私の実験に使ったセシウムは放射性が全くない天然の安全なものでしたが、共同研究者用宿舎で次の夢を見ています。
   起伏きふくはあるけれど、何もない荒野に、コークスの燃えがらのような骨の残骸ざんがい沢山たくさんカラカラと転がっています。その中を、私が「諸行無常しょぎょうむじょう」の気持ちで歩いている、という夢でした。

(10) 今回の大震災で本当に不思議なことは、地震発生の1週間前の2011年3月4日に茨城県鹿嶋市の海岸で、クジラ52頭が打ち上げられたことです。22頭が地元の人たちによって海に帰されましたが、残りは死んでしまいました。クジラはプレートの異変を感じてパニックになった、すなわち、大地震の予知能力があった、ということなのかも知れません。この現象は、不確かな情報ですが、かなりの人数の日本人語学研修生が犠牲になった、2011年2月22日のニュージーランド地震のときにもあったそうです。

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東日本大震災の、被災証明書(仮)
同左(正式)


(11) 6月20日(月)に、ひたちなか市役所で東日本大震災の被災証明書が発行されました(右図)。常磐道の水戸ICより北、東北道の白河ICより北の高速料金が1年間無料で通行できます。(しかし、途中の2011年12月から改正になり、避難者以外は適用外となって、私には恩恵がなくなりました。)
    思い起こせば、3月11日(金)の地震直後に、電気、ガス、水道、電話のライフラインが止まり、数多くの強い余震の中、3月13日(日)午後に電気とガスと電話が回復、3月19日(土)にやっと水道が復旧しました。それまでは、自衛隊の給水車から、または、近所の井戸のあるご家庭から水をもらい、時には、水洗トイレ用に近くの水田の用水路からバケツに水をんで来ました。
    我が家の被害は、陶器と花器が10点近く割れ、家の土台の数ヵ所に細かいひびが入り、京壁風の壁が2ヵ所たてにひびが入り、地震保険から37万円余の保険金が下りました。

(12) 今年(2011年)7月に福島県産の肉牛から暫定ざんてい基準値を上回る放射性セシウムが見つかり、高濃度(基準値の数千倍にも達する)の放射性セシウムを含む稲藁いなわらを牛が食べたことが原因であることが分かり、福島産肉牛の出荷停止が決まりました。それだけでなくその週間内に、宮城県、新潟県、山形県、岩手県産の稲藁からも基準値を上回る放射性セシウムが見つかりました。政府や農林水産省や各自治体ではその対応に追われています。7月20日のTBSの報道によると、出荷された汚染牛の一部が東海道新幹線の車内などで販売された約1万2500個の弁当に含まれていたことが分かったそうです。私はいつかこのような状況になるのでは、と思っていましたが、大変なことですよ。
    今年6月に神奈川県や茨城県や静岡県で生産された新茶からは基準値を上回る放射性セシウムが検出されて出荷停止になったのも記憶に新らしいところです。今年秋に収穫しゅうかくする稲やサツマイモなどは大丈夫だろうか? 東北南部や関東全域土壌どじょうは多かれ少なかれ放射性物質で汚染おせんされてしまっています。福島県の高濃度に汚染された地域では、除染じょせんすると政府は言っていますが、本当に出来るのだろうか。広大な土地の除染なんかが出来る自信があるというのだろうか。部分部分では出来たとしても、全体としては焼け石に水のようなものではないだろうか。除染の努力はそれなりの効果があるとは思われますが・・・。私は基本的に、放射性セシウムの半減期である30年の数倍をないと、除染そのものは広域的にほぼ絶望的であると思っています。どうしてこの上に立った議論がこの国には出来ないのか。日本国民は余りにも危機感に乏しく、深刻に考えることをけているようだ。深刻なことは深刻なこととして、その上でどうすればよいのかを議論している姿を、見たことも聞いたこともない。重大事に対する真剣さがこの国には欠けている。このことが、情報不足の最大要因になっている。
    具体的には、なぜ、東北南部や関東地方の土壌どじょう汚染を詳しく調べて、これから収穫される農畜産物の放射能汚染を予測しようとしないのか。また、なぜ、放射線線量計(ガイガーカウンター)をあらゆる市場や商店に設置して農畜産物を販売する直前に検査する体制を整えようとしないのか。
   私は茨城県に住んでいますが、茨城県産の農作物は食べるのに抵抗があり、1ヶ月に2度、長野県まで買出しに行っています。今年の秋に収穫するお米が心配です。西日本産や北海道産のお米、または、古米を買うしかないかもしれません。
    もし、あらゆる収穫物に放射能汚染があるときは、政府がすべて買い付けて、農畜産業者には補償をすべきだと思います。いい加減な検査体制で、一般消費者に間違っても汚染された農畜産物が出回らないためにも。
   (2011年7月20日に記す)
   2011年秋の新米や野菜類には、思ったほどのセシウム137が含まれていないと報道されました。セシウム137は土壌どじょう粘土ねんどに吸着して、稲や野菜類の根から吸収されるセシウム137は少なかったため、ということです。しかし、キノコ類は濃縮作用が大きいため、各地から暫定基準値以上の放射線量が検出されました。
   (2012年2月10日に記す)

(13) 長崎や広島の原爆放射線障害やチェルノブイリ原発大事故の住民健康調査をずっと担当してきた長崎大学の山下俊一教授日経エレクトロニクス誌7月25日号(年間購読契約の業界誌)の別冊として配布された「復興ニッポン――いま、歩き出す未来への道 ”想定外”に向き合う 2011年夏号」に記事が寄せられ、「チェルノブイリでは放射性セシウムの住民への影響が見られない。唯一ゆいいつ、放射性ヨウ素の影響による小児の甲状腺ガンが問題であった。チェルノブイリの 100 分の 1 しか放射性物質が放出されなかった日本は、放射性セシウムによる健康上の影響は全く心配ない。」と述べられています。ということで、放射性セシウムの健康への影響はないと思ってよいようです。

アメリカ製放射線線量計
茨城県ひたちなか市馬渡の自宅内にて

2011年7月20日(水)23時50分
放射線量は 0.12 μSv/h で平常値の 3.2

(14) 私は放射線線量計(センサーが半導体のシンチレーション型)をインターネットで購入して、毎日、放射線量を見、また、常に持参じさんして行く先々の放射線量を調べています。こうすることで、何らかの対応と安心感を得ることが出来ます。当初、地元の電気量販店で買おうとしたのですが、置いていないということで、インターネットショップで購入しました。アメリカ製です。説明書は英語のみで日本語はありません。幸い、英語が分かりますので不都合ふつごうはありません。不思議にことに、日本製が余りないのですよ。なぜ、日本製が少ないのだろうか。福島県に皆持って行かれたためなのか?、分かりません。
    中国製のカウンターも2011年11月にインターネットショップから購入しました。中国製はガイガー計数管を搭載とうさいし、半導体を用いたシンチレーションタイプと違って、あらゆる種類の放射線に反応しますが、確率的な計数が表示されますので、各時刻毎の表示に多少のバラツキがあります。しかし、その平均を取れば、かなり正確な放射線量が得られることが分かり、これも重宝ちょうほうしています。
    さらに、アメリカ製(組み立ては中国)の DoseRAE 2 PRM-1200 も購入しました。これは非常に性能が良さそうで、以後もっぱら、この測定器を使用して重宝しています。
    私の考えは、汚染された地域では、各戸に1台は放射線線量計を備えてもよいのではないか、と思っています。日本は個人レベルまでもっと放射能について考えるべきだと思います。
    2012年になって、国産の安価な線量計(製品名 エアカウンター)がエステー株式会社から発売され、これもドラッグストアで購入しました。これは、測定のたびにスタートボタンを押さなければなりませんが、価額が圧倒的に安くて測定精度もそこそこあります。
    以上の3者とも、ほぼ同じ線量を計測されています。

(クリックすると拡大します)
3種の小型線量計
左から、アメリカ製(組み立ては中国)、中国製、日本製(エステー株式会社)
茨城県ひたちなか市馬渡の自宅居間にて

2012年2月12日(日)撮影

(15) 個人的なことになりますが、私は昭和28年(1953年)4月から30年(1955年)5月までと、昭和37年(1962年)4月から49年(1974年)3月までとに、通産14年間、仙台市に住んでいました。この間、昭和39年(1964年)6月の新潟地震による大きな揺れ以外には仙台での地震の経験は全くといってよいほど記憶にありません。また、聞いたこともありません。その頃の仙台市は、日本で一番住みやすい快適な都市として語られていたほど、落ち着いた静かな街でした。仙台市電も健在でした。
    1974年(昭和49年)3月に私が仙台を離れて茨城県勝田市(現 ひたちなか市)に転居しました。その後間もない1977年に青葉城恋唄その2 その3)が歌手・さとう宗幸氏によって仙台に誕生しましたが、それは私が仙台を去った慕情ぼじょう歌のように私には思われました。翌年の1978年6月の1978年宮城県沖地震により仙台市内がかなりの被害を受け、その復興の意を込めて歌われ続けたのがこの歌のヒットにになったそうです。この33年後に、またもや今回の東日本大震災です。
    参考までに、夢あふれ、発展途上の仙台市を俯瞰ふかんする夜景が次の画像です。

(クリックすると拡大します)
"仙台市原町はらのまち小田原おだわら高松上たかまつかみ(当時の住所)"の丘から南方に広がる仙台の夜景
1965年5月11日(火)撮影

(16) 2011年7月23日(日)に、ひたちなか海浜鉄道(旧 茨城交通)「湊線」勝田~阿字ヶ浦間が全線運転再開しました。、その1週間後の7月30日(日)に、湊線全線運転再開イベントが那珂湊駅を中心に行われました。これを下の画像に示します。この再開で、大きな震災の1つが復旧しました。

(クリックすると拡大でご覧なれます)
那珂湊駅で無料で置いてあった
簡易うちわ
ひたちなか親善大使のお嬢様2人と
山本暁子さん


終点の阿字ヶ浦駅にて
ひたちなか海浜鉄道「湊線」全線運転再開(2011年7月23日)のイベントが
2011年7月30日(日)もよおされました

  (クリックすると拡大します)
鎌倉大仏大仏殿がないのは、昔、
津波で流されたからだそうです)

1959年10月29日(木)
札幌南高校の修学旅行にて

(17) 右図は筆者が1959年10月29日(木)午後に、北海道立札幌南高校2年の修学旅行で訪れた有名な鎌倉大仏です。この大仏には大仏殿がありません。今回の津波に関するNHK総合テレビによると、大仏殿は津波で流されたその2)後、再建されることがなかったためと放映されました。(詳細は現在でもよく分からないようです)。ただ、大仏殿の柱の礎石は残っているそうです。
    この鎌倉大仏にも大きな津波がかつて来ていたらしいのですよ。この地の標高は15メートル位なので、高さが15メートル以上の津波が押し寄せたと想像されます。またいつか津波が来ることを想定しておく必要があるでしょう。日本全国、外洋に面したどこの海岸線にも言えることかも知れません。

(18) 2011年9月11日(日)早朝に、茨城県ひたちなか市向野むかいの団地で公園除草じょそう側溝掃除そっこうそうじが行われた。私はアメリカ製放射線線量計を持参じさんした。公園はやや放射線量が高く、毎時 0.22 マイクロシーベルトを示している。まわりの人たちにここは放射線レベルが高いよ。と言うと、井手さんがこのあいだ、テレビで小型の放射線線量計は当てにならない、と言っていたよ。。私は中国製のはそうかも知れないけれど、これはアメリカ製で、公式発表の線量とよく合っている。と説明する。線量計がさらに上がりそうなので、私がやっぱり、公園は高いなあ。と言うと、井手さんは山本さんの体が高いんじゃないの?冗談じょうだんを言う。他の人もあまり放射能を気にしていないから。と言う。
    側溝掃除では数袋の土砂が集められた。向野自治会19組の今年度組長である櫻井さくらいさんが私の線量計を手にとって袋にかざしたところ、線量の表示がぐんぐん上がって、毎時 0.82 マイクロシーベルトになった。これは大変だ。と言う私たち。やっぱり、汚泥おでいは放射能が高いなあ。と。

(19) 9月初旬のノロノロ台風12号の影響えいきょうによる雨が降った後の私の家の居間いまの線量が、それ以前の毎時 0.12 マイクロシーベルトから平均毎時 0.14 マイクロシーベルトに上がってしまった。

自宅寝室の線量 0.15 μSv/h
2011年10月3日(月)朝
また、その後の残暑が終わった9月19日から台風15号の影響で北東の涼しい強風が吹き始め、小雨が時々降る天気に変わった頃から、さらに 0.01 上昇して毎時 0.15 マイクロシーベルトをえるようになり、時には、半減期がとおに過ぎて沈静化ちんせいかした放射性ヨウ素 131 のとき以来の毎時 0.17 マイクロシーベルトにもなるようになった。上空にただよっていた放射性セシウムが雨に混じって落ちてきたのだろうか。福島第1原子力発電所ではいまだに放射性物質が空気中にれ続けているらしいと聞くので。
    また、私の寝室の枕元にも線量計を置いて計っていますが、2011年9月下旬現在、毎夜、平均毎時 0.15 マイクロシーベルトもあり、平常時の 4 倍から 5 倍の放射線を毎夜浴びています。居間より寝室のほうが線量が高い]。これがこの先5年、10年と続きそうです。(セシウム137の半減期が約30年、セシウム134の半減期が約2年を考えると)。
    低レベルですが、持続的に浴びて大丈夫かな。??
   (以上、2011年9月18日(日)、および、20日(火)追記)

福島県矢祭やまつり町の水郡線
矢祭山駅前の国道118号
線沿いのお土産みやげ店。15時

ここの線量は 0.10 μSv/
で私の家付近より低い。
福島県白河市の在来線白河駅。17時
ここの線量は 0.20 μSv/h で思ったより低い。
福島県南部をドライブ   2011年9月30日(金)

(20) 2011年9月23日(金)午前から午後にかけて、北関東自動車道全線を西進し、さらに、上信越自動車道を長野県小諸こもろまで車で移動しました。ホットスポットといわれる友部ともべジャンクションから笠間かさまを抜ける区間でやや放射線量が高く、毎時 0.20 マイクロシーベルトを超える地点もありましたが、その他の全域で、0.08 から 0.10 程度を保ち、それが、長野県軽井沢までその値が続きました。軽井沢を過ぎる頃から放射線量は低下し、小諸では 0.05青木村 0.04 と、ほとんど平常時の値となりました。このことから、少なくとも群馬県までは放射能に被曝ひばくし、軽井沢を除く長野県はほとんど被曝していないようです。

(21) 2011年9月30日(金)午後に国道118号線を茨城県那珂市から福島県浅川町まで車で移動しました。その行程で、那珂なか常陸ひたち大宮市大子町だいごまち、福島県矢祭町やまつりまち塙町はなわまち棚倉町たなぐらまちまでは放射線量が毎時 0.10 マイクロシーベルト程度、または、それ以下で、私の住んでいる茨城県ひたちなか市馬渡の私の家付近より低いではないか。このように、福島県内でも118号線沿いが意外に低いことが分かりました。しかし、浅川町では 0.12 になりました。ここから県道で白河方面(西方向)に行きますが、線量は 0.12 をずっと保ったままです。思ったより低い。しかし、白河市街地に入る頃から急に線量が増し、高いところで 0.30 を超えました。しかし、白河市内平均レベル 0.20 程度で、思ったより高くありません。白河から国道4号線を南下します。この国道4号線沿いは高い。0.20 から 0.30 の間を行ったり来たりします。栃木県に入ると、さらに高くなり、県境から那須町、そして、那須塩原まで延々えんえん 0.40 から 0.70 の高さを保つようになりました。ここは高い!! 白河よりずっと高い。ここから東北自動車道で南下しますが、夜で暗いので確かな線量計を知り得ませんでした。

(22) 2011年10月6日(木)午後に、茨城県常陸ひたち大宮市から国道293号線を通って栃木県那珂川町なかがわまちに来ました。この間、放射線線量計は毎時 0.08 から 0.10 マイクロシーベルト程度を示して比較的低かった。那珂川町から294号線を北上しました。㈱黒羽くろばねニコンのある大田原市黒羽向町までは、0.12 以下で低かったのですが、少しずつ高くなり、那須町なすまちに入ると 0.20 に達し、那須町伊王野いおうのに来ると、0.40 に達しました。このあたりは高い。道の駅「伊王野では多くの人々が訪れていて、何事もなかったように歩いている。皆さん大丈夫だいじょうぶだろうか。まあ、福島県福島市伊達だての高い所より一桁ひとけたも低いのだから大丈夫なのでしょう。ここに来るまで、1つ気が付いたことがあります。上記 (6) 項にも書きましたが、線量が 0.15 を越えるあたりから何か見る景色が一寸浮いて見えるような、または、何かしらけているような、それでいて、遠くにある木々の葉一枚一枚までも異様に繊細せんさいに識別でき過ぎるような感じの、何かいつもとは違う見え方になるのに気付きました。気のせいかな。しかし、0.30 を越すような高い線量になるとまた普通の見え方に戻ります。何故なぜだろう。??
   伊王野から北那須広域農道・りんどうラインを那須高原に向けて西北に進みました。この間、線量は 0.40 付近を保っている。国道4号線と交差する所から国道4号線を南下します。線量はさらに上がって、高い所では 0.60 を超えました。この高さが、ずっと続き、東北新幹線「那須塩原駅」付近で 0.40 程度。次第に下がりますが、それでも、矢板市 0.23 もあります。さくら市に来てやっと、0.12 程度に収まり、宇都宮市の北隣の高根沢町では、0.08 にまで下がりました。ここから県道を東進し、那須烏山市を通って、茨城県常陸大宮市に戻りました。この間、線量は 0.08 程度の低さを保っていました。
   [追記] 2013年4月8日午後、1年半ぶりに那須町伊王野の国道294号線を南下したとき、乗用車内の線量計は毎時 0.16 から 0.17 マイクロシーベルトの安定した値を示していました。かつての 0.40 からは十分安全な値に下がったと見ることができます。


  (クリックすると拡大します)
力士雷電
2011年6月12日(日)
に撮影
道の駅前景
2011年9月10日(土)撮影
長野県東御とうみ市の浅間サンロード沿いにある
道の駅「雷電くるみの里」。ここで野菜の買出しをしています。

ここの線量は 0.05 μSv/h で平常値に近い。

(23) 2011年9月現在でも、飲み水や料理の水は水道を使わずに天然水を買って使っています。この頃にはセシウム137が検出されなくなっていますが、もしもということなので。さらに、関東地方産の野菜などは健康上、問題ないと言っても、気持ちが悪いので、全線開通なった北関東自動車道を通って(被災証明により高速料金が1年間無料です。しかし、2011年12月からは、避難者以外は適用外になって恩恵がなくなり、私は一般道を通ることにしました。)、1ヶ月に2回の割りで、長野県まで出掛けて買出しに行っています。長野県の放射線量は毎時 0.05 マイクロシーベルト以下と平常時に近いです。(その後、微増して、2011年末には 0.07 になりました。)しかし、軽井沢町まで、0.10 を越えますので、関東全域は放射能に被曝ひばくしていると判断してよいようです。
   (以上、2011年10月1日(土)追記)

(24) 福島県内の警戒区域、計画的避難区域に入らなくても放射線量が相当に高い伊達だて市、福島市、郡山こおりやま市のある福島県中通なかどおり地方などの住民は大丈夫だいじょうぶかな、と思っています。彼らは個人的に避難をしている人も多いですが、東電や国から補償が得られないのが現状です。たとえば、に相当する放射線量しベルは、チェルノブイリの場合の当事国ベラルーシやウクライナでは「避難する権利」が与えられ、避難する人々の費用を国が支給していたと民放テレビが報じていました。日本では、ある意味、それに相当する地域が見殺しにされています。そういう訳で、福島県中通地域は大変です。東北新幹線や東北自動車道が通る地帯なので、気になります。福島県民の持続的な健康調査から、5,6年先にどのような影響が統計的に現れるか、低レベルで持続的な放射線被曝の新しいデータが得られることでしょう。そういう意味では、福島県民は放射線被曝の影響を調べるモルモットのようなものですよ。私はこの意味から、多くの福島県民が見殺しにされていると思われるのです。
   2011年9月30日(金)に福島第一原子力発電所から20キロ以遠、30キロ以内の避難準備区域が解除されましたが、その解除する理由が明確でありません。放射線量が下がっているわけでもなく、除染が終わっているわけでもなく、すでにほとんどの住民が避難してしまっていたのですが、彼らは一様に疑問を持っていて、自宅に戻る考えはないと言います。形式的な政治判断でしょうか。
    ところがその反面、同じ日に、福島第一原子力発電所から40キロも離れた飯舘村などの数値点の土壌から、半減期が1万年以上に及び体内被曝をすれば毒性と発ガン性が強いプルトニウム238が、検出されました。福島第一原子力発電所の敷地外では初めての検出だそうで、由々ゆゆしきことです。
   原子力大事故が起こったとき、トテツもない量の土壌汚染などの処理問題も含めて、その後始末あとしまつがどうしようもない程の長い年月を要するということです。警戒区域、計画的避難区域は数10年間以上も人が立ち入れないのではと私は思います。(半減期が30年というセシウム137等により)。テレビでは、皆さん、どの程度の知識がお有りなのか分かりませんが、「原発が終息する来年には帰れるとよい。」などと語っていますが、それは余りにも無謀むぼうな考え方で難しいと思います。放射能はそんなに甘いものではありません。
    それにしても、政府や教育機関などが、情報や知識の公表をしぶってきた姿勢しせいが問題で、この国は危機意識にとぼしく、危険に対する認識が甘過ぎます。
   (以上、2011年10月1日(土)追記)

  (クリックすると拡大します)
講師の
菊山紀彦先生

撮影が明瞭でなくて
申し訳ございません
左が木村隼人氏(茨城高専名誉教授)
右は私
「放射線の正しい知識」の講演会会場ロビーにて
(茨城県開発公社3階大会議室のロビー)
2011年10月5日(水)18時 (山本暁子さんが撮影)
もし支障がありますればご連絡ください。削除いたします。

(25) 2011年10月5日(水)18時半から茨城県庁舎北隣にある茨城県開発公社3階大会議室で、菊山紀彦としひこ先生による「放射線の正しい知識」の講演会が日本生命が主催する NISSAY セミナーの一環としてもよおされました。私は20年前から保険取引のあった日本生命・水戸支社・水戸茨城職域営業部の久野かつ恵さんの紹介で聴講しました。茨城工業高等専門学校電気電子システム工学科教官で1年先輩の木村隼人はやと名誉教授も同席され、6年ぶりの再会となりました。
   この講演は大変ためになり、講演の後に多くの方が次々に質問されました。木村先生が「放射性物質が付着した樹木の焼却処理」に関する質問とそれに対する先生の回答の後、私も質問しました。「先月の台風の後に毎時 0.02 マイクロシーベルトだけ上昇したのは、上空にただよっていた放射性セシウムが風雨とともに地上に落ちてきたためですか。」とうかがったところ、菊山先生は「その後、元の値に下がりましたか?」と私に聞くので、私は、「いえ、下がっていません。7月に毎時 0.12 マイクロシーベルトだったのが、今は 0.14 になっています。」と答えました。すると、先生は、「そうですか。」と首をかしげつつも、「今、上空に漂っていた放射性セシウムが風雨とともに地上に落ちてきた、ということはないと思います。屋根の上など別のところにまっていた放射性物質が、雨とともに地表に落ちてきたのでしょう。」とお答えになった。

(26) 2011年3月11日14時46分の地震で、茨城県栃木県の広範囲で多くの家の屋根瓦やねがわらが落ち、ほとんどすべての大谷石おおやいしへいが倒れましたが、災害戸数が余りにも多いので、半年をた現在でも、ほとんど復旧せずに、屋根はブルーシートをかぶせたまま、塀は修理しないままの姿をていしています。職人さんの仕事量が限られているのは勿論もちろんかわらを焼くかまそのものが地震で崩壊ほうかいしたために、窯から作り直さなければならないそうで、屋根瓦の修復は2,3年待ちということです。塀の材料も枯渇こかつして、2,3年は手に入らないと聞きました。ひたちなか文化会館はだ復旧工事中で、道路も、通行止めや交互こうご通行のところが残されています。   (下図を参照)
   (2011年10月14日(金)記)

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がんばろう ! 田彦たびこ
茨城県ひたちなか市田彦中学校正門にて
震災から2週間たっても、ここや第三中学校で
自衛隊の方々から給水を受けました。感謝。
2011年3月26日(土)夕方撮影
ここの放射線量は不明
大震災で崩壊ほうかいした片側車線の復旧工事
半年った今なお、交互通行が続く。
県道・水戸常陸太田ひたちおおた線(旧国道349号線)
茨城県那珂なか額田ぬかだにて

2011年10月14日(金)撮影
なお、ここの放射線量は
毎時 0.08 マイクロシーベルトで低い。

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大震災で崩壊ほうかいした国道245号線
半年った今なお復旧が難しい。
茨城県日立市大みか町にて

2011年10月24日(月)撮影
この下は久慈くじ漁港。
左手遠くに東海第2原子力発電所が見える。

なお、ここの放射線量は
毎時 0.15 マイクロシーベルト
長さ500メートルにわたって液状化えきじょうかした
国道245号線の片側2車線
半年った今なお手付かずのまま。
茨城県日立市久慈くじ町にて

2011年10月25日(火)撮影
なお、ここの放射線量は
毎時 0.10 マイクロシーベルト

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那珂なか川河口の防護壁ほうごへき崩壊ほうかい地盤沈下じばんちんか
左側に浸水しんすいを防ぐ土嚢どのうが置かれている
茨城県ひたちなか市栄町(那珂湊なかみなと地区)
市道みなと2-1号線
  2011年10月29日(土)撮影
なお、ここの放射線量は毎時 0.12 マイクロシーベルト

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今なお多くの屋根は復旧していない。
茨城県那珂なか市にて。   
2011年10月20日(木)
なお、ここの放射線量は
毎時 0.08 マイクロシーベルトで低い。

今なお多くのへいは復旧していない。
茨城県日立市にて。

2011年10月24日(月)
なお、ここの放射線量は
毎時 0.12 マイクロシーベルト


一車線が斜めに沈んだ昭和通
右の電柱が傾き、その影が
ゆがんでいることから分かる。

今なお手付かずのまま。
茨城県ひたちなか市馬渡にて

2011年10月26日(水)撮影
なお、ここの放射線量は
毎時 0.15 マイクロシーベルト
道路陥没かんぼつ復旧工事
県道 豊岡佐和停車場線
茨城県那珂郡東海村須和間すわま
ひたちなか市高野こうやの間の区間。

2011年11月10日(木)撮影
ここの放射線量は
毎時 0.13 マイクロシーベルト



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大震災で崩壊ほうかいしたひたちなか市道みなと1-1号線(ひたちなか市那珂湊なかみなと地区にある海岸道路)
茨城県ひたちなか市殿山とのやま

2011年10月26日(水)撮影
大地震から半年った今なお手付かずのまま。
なお、ここの放射線量は毎時 0.26 から 0.45 マイクロシーベルトでかなり高い。


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大震災で液状化えきじょうかによってこわれた国道50号線の片側2車線の復旧工事
この工事区間は 2.5 キロメートルにおよぶ。
茨城県東茨城郡大洗町おおあらいまち

2011年10月29日(土)撮影
なお、ここの放射線量は毎時 0.15 から 0.20 マイクロシーベルト


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大震災で崩壊ほうかいした農免道路「バードライン」
茨城県那珂町なかまち下江戸

2011年11月27日(日)撮影
なお、ここの放射線量は毎時 0.20 マイクロシーベルト


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大震災で崩壊ほうかいした国道 6 号線の歩道
被災箇所が 1 キロの距離に及ぶ。
半年った今なお手付かずのまま。
茨城県東茨城郡茨城町小幡おばたにて

2011年11月7日(月)撮影
放射線量は毎時0.12マイクロシーベルト
大震災で崩壊ほうかいした歩道
半年った今なお手付かずのまま。
茨城県ひたちなか市東中根団地の市道

2011年11月7日(月)撮影
放射線量は毎時0.11マイクロシーベルト



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大震災の地盤沈下による被災
半年った今なお手付かずのまま。
茨城県ひたちなか市のワークプラザ勝田

2011年11月8日(火)撮影
放射線量は毎時0.12マイクロシーベルト
大震災の液状化と地盤沈下による被災
半年った今なお手付かずのまま。
茨城県那珂郡東海村の東海村役場

2011年11月8日(火)撮影
放射線量は毎時0.12マイクロシーベルト

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液状化で浮いたマンホール
茨城県那珂なか市玉川

2011年12月2日(金)撮影
大地震から8ヶ月った今なお手付かずのまま。
ここの放射線量は毎時 0.12 マイクロシーベルト
段差ができた道路  茨城県那珂市瓜連うりづら
2011年11月10日(木)撮影
大小を問わずどの橋のまわりが沈下
したが、このように仮復旧している。

放射線量は毎時 0.13 マイクロシーベルト

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常陸太田市役所玄関前の復旧工事
茨城県常陸ひたち太田市金井町

>2011年12月31日(土)撮影
地盤沈下じばんちんか亀裂きれつがあった。
放射線量は毎時 0.08 マイクロシーベルト
で低い。
笠間稲荷いなり神社境内けいだいうら 倒壊とうかいした
茨城県笠間市

2012年1月2日(月)撮影
放射線量は毎時 0.15 マイクロシーベルト



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倒れたままのブロックべい
茨城県那珂なか市にて。

2011年12月31日(土)撮影
大地震から9ヶ月以上った今なお
手付かずのまま。

ここの放射線量は毎時 0.10
マイクロシーベルト



地震で一部がしずんだ鹿行ろっこう大橋
茨城県行方市馬渡(手前)と鉾田市札
(向こう)を結んで北浦にかかる橋

2012年1月5日(木)撮影
途中の一方通行の部分が地震による
液状化で沈んだといわれ、通行中の
乗用車の運転手が犠牲ぎせいになった。この
直ぐ向こうに、新しい大橋が建造中。

放射線量は毎時 0.14 マイクロシーベルト

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路盤沈下(補修中)
茨城県高萩市高萩の市道

2012年1月14日(土)撮影
ここの放射線量は毎時 0.16 マイ
クロシーベルト
道路決壊(下は花貫はなぬきダム湖)
茨城県高萩市秋山の国道461号線

2012年1月14日(土)撮影
放射線量は毎時 0.25 から 0.55 マイクロシーベルトで高い


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2013年1月28日(月)16時45分撮影
2013年1月28日(月)17時15分撮影
取りこわされる予定の市庁舎   手前は仮庁舎

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2013年1月29日(火)15時00分撮影
2013年1月28日(月)16時45分撮影
庁舎内部にも大きな亀裂があるということで、全面建て替えが計画されています。
放射線量は毎時 0.11 マイクロシーベルト

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復旧工事の突堤
2013年7月27日(土)撮影

魚市場第2突堤

地盤沈下等で
壊れたままです
魚市場第1突堤
地盤沈下と津波で大きく傾いています
地震と津波の被害が2年半後も色濃く残っています。津波で犠牲者も多数出ています。
2013年8月16日(金)撮影

大津波で被災した大津漁港   茨城県北茨城市   放射線量は毎時 0.06 マイクロシーベルト

(27) 「2011年10月17日(月)に東京都足立区立東淵江小学校のプールの横にある機械室の雨樋あまどいの下、地表から 5 センチメートルのところで毎時 3.99 マイクロシーベルトの高い放射線量を検出した」というニュースがありました。
   このニュースに刺激されて、翌18日(火)昼過ぎに、ひたちなか市馬渡まわたりの我が家の雨樋が地面に落ちる付近を放射線線量計で線量を調べました。結果は、毎時 0.26 マイクロシーベルトで、低くはないけれどもそれ程高くはないので一安心。なお、室内の線量は 0.13 なので、室内の 2 倍あるといえます。家の周りの他の場所は 5 センチメートルでも 1 メートルでも余り変わらずに 0.17 程度で高くありません。また、7月に庭木を剪定せんていして1ヶ所に積んである所でも 0.18 前後で高くありませんでした。
    この翌々日早朝に、自宅から小さな谷津やつを越えて300メートル離れた森の中の道を散歩がてらに測定すると、毎時 0.45 マイクロシーベルト以上のやや高いホットスポットがありました。谷津の田んぼ道は 0.25 とそれ程高くないのですが、向かいの台地に上がる森に差しかかるあたりがホットスポットの境目となっていて、放射線線量計の指示は、突然上がり、境目では 0.25 0.40 の間を激しく上下してなかなか定まりません。そして、森に入る道を上がると 0.40 を超えるわけです。この間、たったの10数メートルの距離です。



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自宅近くの森にて
2012年1月13日(金)午前11時撮影
森の中の線量は何と毎時 0.90 マイ
クロシーベルトに達し、非常に高い。


   年が明けた2012年1月13日(金)午前11時に再度このに来て放射線量を測りました。昨年よりやや高く入ったところで何と、毎時 0.90 マイクロシーベルトに達しました。10分間の平均値でも、毎時 0.88 マイクロシーベルトでした。この様子を右の画像に示します。このように、昨年の2倍の放射線量を検出したのですが、昨年と測定場所がちょっと違うためか、本当に昨年より線量が増したのか、については分かりません。国発表の除染基準が 0.23 マイクロシーベルト毎時なので、ここの森は除染が必要です。多くの人がここを散歩していまして、この高い放射線量を知らせると、皆一様に驚いています。
    1年3ヶ月ぶりの2013年4月19日(木)午前9時にこのの放射線量が最も高かった場所に来て、放射線量を計りました。最高指示が毎時 0.42 マイクロシーベルトでした。去年の半分に下がっていましたが、まだ高い値です。
    2014年5月18日に1年ぶりにこのの小道を通って線量を計ったところ、最大 毎時 0.57 マイクロシーベルトでした。去年より悪い結果となりました。当分は高いままでしょう。

   2011年11月15日(火)に所用で、ひたちなか市役所に来ました。駐車場の線量が 0.23 もありました。ここは赤松林の中にあります。やはり、木々のある所は少し高目です。
   (2011年11月15日(火)記)

   2011年11月27日(日)に所用で、ひたちなか市総合運動公園に来ました。ここに来る途中の市道で線量が最大 0.50 を超える箇所がありました。ここは太平洋岸に近いところで、高目となっています。
   (2011年11月29日(火)記)

(28) 2011年10月22日(土)に、「千葉県柏市の市有地の空き地の深さ 30 センチ程度の土壌から最大 毎時 57.5 マイクロシーベルト、1 キログラムあたりで最大 27万6000 ベクレルの放射性セシウムが検出された。側溝が破損してそこから雨水が地中にしみ込み、土壌に蓄積的に吸着したため、と見られている。」というニュースがありました。
    これはとんでもない高濃度の放射能です。ここは福島第1原子力発電所から200キロも離れているのですよ。
    このことは、もっと細密な地点での土壌検査が必要であることを示しています。この種の出来事がさらにこれから出てきそうです。
   (2011年10月25日(火)記)

(29) 2011年11月3日(木)の昼前に10分間ザーッと一雨降りました。その直後、茨城県ひたちなか市馬渡まわたりにある自宅の居間いまに置いてある放射線線量計が 毎時 0.14 マイクロシーベルト から急に 0.20 ね上がりました。室内で 0.20 になったのは初めてです。これまでの室内の最高値は 0.16 でしたから。雨はすぐに止んで、そのあと降っていません。その夕方に 0.15 にまで下がって回復しました。
    雨には注意ですね。雨にれないようにするに越したことはなさそうです。かさをささない人が多く見受けますが、気を付けたほうがよいと思いました。
   (2011年11月4日(金)記)

   2011年11月6日午前にやっと居間の線量が平均 0.13 程度に、また、寝室の線量が平均で 0.14 に落ち着きました。(何とか7月のレベルに戻りました。)
    と思って安心していたら、その日の20時頃、小雨がぱらつき始めたときに、居間の放射線量が毎時 0.12 マイクロシーベルトから 0.16 に急上昇したのですよ。ぐに雨が止んで、放射線量は 23 時現在、0.13 ないしは 0.14 まで下がりました。
   上記(19)にもありますように、雨はやはり放射線を呼ぶようなので、雨には気を付けましょう。
   (以上、2011年11月6日(日)追記)

    その後、我が家の放射線量は微増して、2012年1月上旬現在、居間 0.13 から 0.14 の間、寝室 0.16 に落ち着いています。この微増は、ひたちなか市のほぼ全域に見られ、例えば、2011年10月以前に勝田駅周辺が 0.10 程度であったのが、今は 0.12 になり、また、鉾田市上富田でも 0.12 程度であったのが、今は 0.18 を超えています。茨城県が公表している線量計は常に微減と発表されているのに、なぜ、私が計測した一部の地域で微増したのかが分かりません。
    それに対して、常陸太田市の市街地では 0.08 程度で変わっていません。
   (以上、2012年1月6日(金)追記)

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道の駅「雷電くるみの里」
げられた半旗
(震災一周年)
2012年3月11日(日)
上から国旗、東御とうみ市の市章、
道の駅の旗

[註]風向きが反対なので、各
旗は左右逆に写っています。

(30) 2012年3月11日(日)は大震災一周年の日です。私たちはこの日も上記 (23) に書きましたように、長野県東御とうみ市の道の駅「雷電くるみの里」に野菜の買い出しに来ました。昨年12月から被災地内に住む人の高速道路利用の無料が切れましたので、以来、一般道で来ています。津波等、このたびの大震災の犠牲ぎせい者が3万人近くも出たことに対して、日本全体がふくしています。ここ「雷電くるみの里」でも、右の画像のように、半旗かかげられていました。

(31) 上記(19)に書きましたように、2011年9月3日(土)のノロノロ台風接近時に、我が家の内部の放射線量が約 0.02 マイクロシーベルト毎時だけ上がって、居間で毎時 0.12 から 0.14 マイクロシーベルトに、寝室で毎時 0.14 から 0.16 マイクロシーベルトに上がって以来、下がることがなく、雨が降り始めるとさらに上がる、という状態が2012年3月23日(金)の雨の日まで7ヶ月以上続きました
    それが、2012年3月24日(土)に晴れて以来、5日経った今まで、去年の9月3日以前の状態(居間で毎時 0.12 マイクロシーベルト、寝室で毎時 0.14 マイクロシーベルト)に戻ったのですよ。
    この7ヶ月間の高止まりは何だったのでしょうかね。もとかして、福島第一原子力発電所から放射性物質がれ続けていたのが、こわれた外壁がいへきおおう工事がある程度完了して、放射性物質の漏れと拡散かくさんが止まったのかなあ、と想像しますが、何の情報もないので分かりません。とにかく、7ヶ月前の高くない状態に復帰したのはよいことだ。
    ただ、公式的な放射線量の測定結果の情報とその傾向が合っていないのが気になります。公式的な測定では、ごく少しづつ放射線量が下がり続けていて、7ヶ月間高止まりとはなっていません。それでも、雨が降るときに一時的に上昇する傾向だけは私の測定と合っているようです。
   (以上、2012年3月30日(金)追記)

    と思った矢先、2012年3月31日(土)午後から風向きが北よりに変わったころから、寝室の放射線量が最高、毎時 0.19 マイクロシーベルトまでに上がったのですよ。この高い値は寝室では初めてです。その後、 0.16 に戻りましたが、それでも高めです。当日(3月31日)午前には南風の大砂嵐があって、地表の放射性物質が舞い上がったせいかとも思いましたが、砂嵐の最中は線量が上がらなかったのでこのせいではないと思います。(放射性物質は土中の粘土と結合しているらしい。)
    要するに、ここしばらくの春本番の南風になっていて放射線量が低くなったのですが、冬の北風に戻ると、また高めになったというわけです。北の方から、すなわち、福島第一原子力発電所の方から吹く風は高い放射能を今でも運んでくるのですかねえ。よく分かりません。
   (以上、2012年4月2日(月)追記)

    4月に入ってやっと遅い春が来て南よりの風が吹き、日に日に暖かくなりました。これとともに、我が家の寝室の放射線量がさらに下がり、4月半ば以来5月6日の今日まで連日、毎時 0.12 ± 0.01 マイクロシーベルトに安定し、居間の放射線量と同じくらいになりました。居間も寝室も、瞬間的に高くても毎時 0.14 マイクロシーベルトを超すことはなくなりました。なぜ、以前より下がって安定したのかは分かりません。かといって、毎時 0.10 マイクロシーベルトを下回ることも全くありません。
   (以上、2012年5月7日(月)追記)

(32) 2012年1月31日に福島県双葉郡川内村が全村帰還宣言をして村役場が帰還したのを始め、2012年度の学校の入学式も村内で挙行されたというニュースが流れました。そこで私と私の妻がその歓迎すべき事態を確かめに、2012年4月8日(日)11時に車で茨城県ひたちなか市を出発し、国道245号線、国道6号線、国道49号線、福島県内の県道を乗り継いで4時間かけて行って来ました。アメリカ製の小型放射線線量計をたずさえて、道中の車内で空間放射線量を測定し続けました。その結果をここで報告します。

  茨
  城
  県
   ひたちなか市の国道245号線    0.12 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   東海村の国道245号線    0.10 μSv/h  (車内で)
   日立市の国道245号線および国道6号線    0.08 μSv/h  (車内で)
   高萩市の国道6号線    0.07 μSv/h  (車内で)
   北茨城市の国道6号線    0.07 μSv/h  (車内で)
  福

  島

  県
   いわき市勿来なこその国道6号線    0.08 μSv/h  (車内で)
   いわき市内郷うちごうの国道6号線    0.10 μSv/h  (車内で)
   いわき市三和みわの国道49号線    0.12 ~ 0.14 μSv/h  (車内で)
   小野町の国道349号線    0.14 ~ 0.16 μSv/h  (車内で)
   田村市滝根町から川内村への山越えの県道    0.25 ~ 0.65 μSv/h  で激しく変動する。高い。(車内で)
   川内村役場    0.17 μSv/h  (車内で)、 0.23 μSv/h  (車外の1メートル高さ)。思ったより低い。  
   川内村から田村市大越おおごえ町への山越えの県道    0.25 ~ 0.50 μSv/h  で激しく変動する。やや高い。(車内で)
   田村市大越町から田村市船引ふねひき町への県道    0.07 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
   田村市船引町の国道288号線    0.14 ~ 0.18 μSv/h  (車内で)
   三春町の国道288号線    0.18 ~ 0.22 μSv/h  (車内で)
   郡山こおりやま市の国道4号線    0.25 ~ 0.80 μSv/h  で激しく変動する。高い!(車内で)
   須賀川市、鏡石町、矢吹町、および、泉崎村の国道4号線      0.14 ~ 0.18 μSv/h  (車内で)
   白河市の国道4号線    0.25 ~ 0.50 μSv/h  で激しく変動する。やや高い。(車内で)
  栃
  木
  県 
   那須町の国道4号線    0.25 ~ 0.75 μSv/h  で激しく変動する。高い!(車内で)
   那須塩原市の国道4号線    0.25 ~ 0.50 μSv/h  で激しく変動する。やや高い。(車内で)

    以上のように、川内村の空間放射線量は私が思っていたより低いので、「これならば、宣言どおり、住民の帰還は可能だな。」と思いました。ただ、川内村に入る道路は山越えが必要で、山越えのときに、かなり高い放射線量の地帯を通らなければなりません。
    それよりも、郡山市内の放射線量の高さには改めてビックリです。車で市内の国道4号線を走っているとき、激しく放射線量計が変動し、各所で 0.70 マイクロシーベルト/時を超えていました。「こんなに放射線量の高い都会によく人々が生活できるなあ。」というのが正直な感想でした。この日の報道で「郡山市内の小中学校では、屋外運動場(グラウンド)の除染じょせんが完了し、運動場の使用時間制限が解除されました。」とあります。この国道の放射線量の高さからして、郡山市民はこのさき数10年間、大丈夫だいじょうぶなのかなあ。
   (以上、2012年4月11日(水)追記)

  (クリックすると拡大します)
川内村役場
「かえるかわうち」は
「川内村に帰る」という意味です。

なお、天然記念物のモリアオガエル
の生息池が村内にあります。
川内村役場の真ん前の景色
JA 川内
全村帰還宣言をした福島県川内村   2012年4月8日(日)14:20-14:50   山本暁子さん撮影

(33) 2012年4月17日(水)に、国道6号線(陸前浜街道)を北上して福島県の警戒区域まで北上してみました。その結果は次のようです。

  茨
  城
  県
   ひたちなか市の国道245号線    0.09 ~ 0.11 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   東海村の国道245号線    0.09 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   日立市南部の国道245号線    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   日立市北部の国道245号線および国道6号線    0.10 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   高萩市の国道6号線    0.09 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   北茨城市の国道6号線    0.08 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
  福

  島

  県
   いわき市勿来なこその国道6号線    0.08 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   いわき市小名浜の国道6号線    0.12 μSv/h  (車内で)
   いわき市草野から四ツ倉の国道6号線    0.16 μSv/h  (車内で)
   いわき市久之浜ひさのはまの国道6号線    0.18 ~ 0.30 μSv/h  (車内で)
   いわき市末続すえつぎの国道6号線    0.25 ~ 0.40 μSv/h  で激しく変動する。やや高い。(車内で)
   広野町の国道6号線、および、楢葉町ならはまちの立入禁止地点    0.30 ~ 0.65 μSv/h  で激しく変動する。高い。(車内で)

    以上のように、福島県いわき市辺りまでは放射線量が高くありませんが、広野町を通って警戒区域に近づくにつれ上昇しています。福島県楢葉町ならはまちに入ってすぐ、警戒区域の「立入禁止」になります。そこを右折すれば、現在、事故終息のための前線・中継基地として用いている「J ヴィレッジ」(本来は、JFA サッカーナショナルトレーニングセンター)です。私たちは左折して「楢葉工業団地」に向かおうとしましたが、ここも立入禁止なのでUターンせざるを得ません。この様子を次の画像に示します。また、津波の災害あとも見られました。
   (以上、2012年4月19日(木)追記)
    2012年8月10日(金)午前0時に、楢葉町の80パーセントを占めていた警戒区域が解除されて避難指示解除準備区域となり、立入が自由になりました。
   (2012年8月13日(月)追記)

  (クリックすると拡大します)
警戒区域の予告
立入禁止地点   山本暁子さん撮影
右折するとJ ヴィレッジ
J ヴィレッジ入り口
山本暁子さん撮影
福島県楢葉町ならはまちでの国道6号線の警戒区域内立入禁止   2012年4月17日(水)16時撮影
2012年8月10日(金)午前0時に、楢葉町の80パーセントを占めていた警戒区域が解除されて
避難指示解除準備区域となり、立入が自由になりました。


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津波で土台と植木だけが残った
津波で土台だけが残った

津波でこわれた漁船の残骸ざんがい
津波の被害   福島県いわき市   2012年4月17日(水)17時頃撮影

(34) 2012年4月16日(月)に福島県南相馬市の警戒区域が解除され、避難指示解除準備区域(年間被ばく線量20ミリシーベルト以下)と、居住制限区域(同20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)と居住困難地域(同50ミリシーベルト超)に再編されました。この避難指示解除準備区域は、大事故の福島第一原子力発電所の地域をはさんで、前項 (33) に記した立入禁止地点の反対側になります。
    そこで、2012年4月24日(火)に、福島県中通なかどおり地方と宮城県南部を大回りして福島県南相馬市に入り、国道6号線(陸前浜街道)を北から立入禁止地点(南相馬市が双葉郡浪江なみえ町と接する付近)を視察してきました。その結果は次のようです。

  茨
  城
  県
   ひたちなか市    0.08 ~ 0.12 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   那珂市    0.07 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   常陸太田市(旧市域)の国道349号線    0.06 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   日立市(阿武隈山地西側)の国道349号線    0.07 μSv/h  (車内で)
   常陸太田市(旧里美村)の国道349号線    0.06 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
  福

  島

  県
   東白川郡矢祭やまつり町の国道118号線    0.05 μSv/h  (車内で)、低い。
   東白川郡はなわ町の国道118号線    0.06 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   東白川郡棚倉たなぐら町の国道118号線    0.11 ~ 0.18 μSv/h  (車内で)
   石川郡浅川町の国道118号線    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   石川郡石川町の国道118号線    0.07 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   石川郡玉川村の国道118号線    0.06 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   須賀川すかがわ市の国道118号線    0.11 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   須賀川市の国道4号線    0.13 ~ 0.18 μSv/h  (車内で)
   郡山こおりやま市の国道4号線    0.15 ~ 0.61 μSv/h  で激しく変動する。やや高い。(車内で)
   本宮市と安達郡大玉村の国道4号線      0.25 ~ 0.79 μSv/h  で激しく変動する。高い。(車内で)
   二本松市の国道4号線    0.35 ~ 1.22 μSv/h  で激しく変動する。非常に高い。(車内で)
   福島市の国道4号線    0.25 ~ 0.82 μSv/h  で激しく変動する。高い。(車内で)
   伊達だて市の国道4号線    0.16 ~ 0.28 μSv/h  (車内で)
   伊達郡桑折こおり町の国道4号線    0.09 ~ 0.52 μSv/h  高い所もある。(車内で)
   伊達郡国見町の国道4号線    0.20 ~ 0.35 μSv/h  (車内で)
  宮
  城
  県
   白石しろいし市の国道4号線および国道113号線    0.13 ~ 0.32 μSv/h  (車内で)
   角田かくだ市の国道113号線    0.11 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   伊具いぐ郡丸森町の国道113号線    0.13 ~ 0.16 μSv/h  (車内で)
  福
  島
  県
   相馬そうま新地しんち町の国道113号線    0.16 ~ 0.18 μSv/h  (車内で)
   相馬市の国道6号線    0.18 ~ 0.20 μSv/h  (車内で)
   南相馬市の国道6号線    0.16 ~ 1.31 μSv/h  高い所もある。(車内で)
   南相馬市が双葉郡浪江なみえ町と接する付近
   の国道6号線の立入禁止地点
   1.31 μSv/h  極めて高い。(車内で)

  (クリックすると拡大します)
立入禁止地点   山本暁子さん撮影
2012年4月24日(火)17:30
警備をしている警察官は長時間、
毎時1.31 マイクロシーベルトという
きわめて高い放射線をびています。

大丈夫だいじょうぶでしょうか?
   阿武隈山中の放射線量の極めて高い双葉郡浪江なみえ町や相馬そうま飯舘いいたて村などを迂回うかいするために、一般道を往復500キロメートル、十数時間の行程でした。立入禁止地点(右図)直前まで南相馬市内はそれ程高い線量ではありませんでしたが、立ち入り禁止地点の手前100メートル地点に来ると、突然、上の表の末尾まつびに示しましたように、とんでもなく高い線量になりました。まさに、この地点を立入禁止地点に設定したものと想像されます。
   立入禁止地点に至る数キロ手前からは津波による爪跡つめあとがそのまま残っていて、この地域に住民は未だ戻っていません。地盤沈下のため水にかった田んぼや倒れかけた電柱、流されて放置された数多くの車、破壊された建物、壊滅かいめつして消失した集落などを見ますと、特に、農地の復旧は気の遠くなるような先のことに思われました。それらを次に示します。
    これらの画像に見られるように、警戒区域から解除されて間もない南相馬市小高おだか区での復興の気配がだ見られません。夕刻に街灯だけはきますが、家々の明りは全くありません。
    唯一ゆいいつ、破壊されてなお見通しのかない防潮堤の外のほうから重機のひびきがしていました。ずは、海岸から復旧作業が始まったのでしょう。
   (以上、2012年4月29日(日)追記)

(クリックすると拡大します)
津波に流されてきた車
津波でこわれた国道6号線のフェンスと
後ろに積まれた大量の瓦礫がれき
津波で傾いた電柱

津波で流された車が累々るいるい
水田に散らばっています。
津波で流されてきた車

湖ではありません。水田は荒れ、
地盤沈下により水が引かないのです。

水の中に車が点々と放置されています。
この先に集落がありましたが、
津波で
消滅しました。
ここも集落が壊滅かいめつし、
残った松の木が数本
大津波の爪跡   福島県南相馬市小高おだか区にて   2012年4月24日(火)17:40-18:30   大部分は山本暁子さん撮影

(35) 2012年5月5日(土)に北海道電力㈱のとまり原子力発電所(北海道古宇ふるう郡泊村[積丹しゃこたん半島西側に位置する])3号機が停止し、国内にある原子力発電所50基(全原子力発電所は17ヶ所)が全て停止したことになります。大事故を起こした福島第一原子力発電所の1号機から4号機までが廃炉を決定していますので、基数は54基から50基になっていたわけです。全ての原子力発電が止まるのは1970年以来42年ぶりとのこと。
   原子力発電がなくなって火力発電を急遽きゅうきょ増設した、それと、消費者側が節電を心掛けた結果なのかどうかよく分かりませんが、一部の電力会社管内を除き、電力不足はそれ程深刻にはならないようです。電力会社が予想電力供給量を実際よりも低く見積もって発表してきたことも理由のようです。
   いずれにしろ、今まで私たちは原子力発電の上にあぐらをかいて生活していた、ということなのでしょう。

(36) 2012年5月11日(木)に、車で北関東を一般道で横断して長野県に野菜の買い出しに行ってきました。昨年から3週間に1回の割合で今も長野県に野菜の買い出しに行っています。放射能が意外に農作物に含まれていないことが分かり、また、放射線の危険性の限界もそこそこ分かってきましたが、習慣というものはそう簡単には変えられず、今でもそうしています。往復のガソリン代が約5千円、3週間分の野菜代金が約4千円、計約9千円です。これが高いかどうかはともかく、もしもの安全を考えた場合の保険のようなものです。
   車にアメリカ製のシンチレーション型線量計を設置して放射線量を測定した結果が次のようです。

  茨

  城

  県
   ひたちなか市勝田地区    0.10 ~ 0.11 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   水戸市の国道6号線との国道50号線    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   笠間市の国道50号線    0.08 μSv/h  (車内で)
   桜川市の国道50号線    0.06 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   筑西ちくせい市の国道50号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   結城ゆうき市の国道50号線    0.06 μSv/h  (車内で)
  栃
  木
  県
   小山おやま市の国道50号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   栃木市および下都賀しもつが郡岩舟町の国道50号線    0.07 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
   佐野市の国道50号線    0.06 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   足利あしかが市の国道50号線    0.06 μSv/h  (車内で)
  群

  馬

  県
   太田市の国道50号線    0.05 ~ 0.06 μSv/h  (車内で)、低い。
   桐生きりゅう市の国道50号線    0.06 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   みどり市の国道50号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   伊勢崎市(旧 赤堀町地区)の国道50号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   前橋市東部の国道50号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   前橋市市街地の国道50号線    0.07 μSv/h  (車内で)
   高崎市の国道17号線    0.07 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   高崎市の環状道路北西部    0.08 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
   高崎市の国道18号線    0.07 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   安中あんなか市の国道18号線(碓氷うすいバイパスを含む)    0.08 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
  長
  野
  県
   北佐久郡軽井沢町の国道18号線    0.07 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   北佐久郡御代田みよた町の浅間サンライン    0.06 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   小諸こもろ市の浅間サンライン    0.04 ~ 0.06 μSv/h  (車内で)
   東御とうみ市の浅間サンライン    0.04 ~ 0.05 μSv/h  (車内で)、平常値に近い。
   東御市の道の駅「雷電くるみの里」    0.05 μSv/h  (車内で)、  0.07 μSv/h  (車外の1メートル高さ)。


(37) 2012年6月19日(火)に、台風4号接近の影響で雨の中、所用で栃木県の那須高原に行ってきました。。
   車にアメリカ製のシンチレーション型線量計を置いて放射線量を測定した結果が次のようです。上記 (21) に、2011年10月の那須地方の放射線量を書きましたが、このときに比べると、かなり放射線量が下がったように思われます。

  茨

  城

  県
   ひたちなか市北東部    0.10 ~ 0.12 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   ひたちなか市北西部    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   那珂市北東部    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   那珂市北西部(旧 瓜連うりづら町)の国道118号線    0.07 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   常陸ひたち大宮市(旧 大宮町)の国道118号線および国道273号線    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   常陸大宮市(旧 緒川おがわ村)の国道273号線    0.07 μSv/h  (車内で)
   常陸大宮市(旧 美和みわ村)の国道273号線    0.08 μSv/h  (車内で)
  栃

  木

  県
   那須郡那珂川町    0.07 μSv/h  (車内で)
   大田原市の佐久山に至る県道52号線、および、旧陸羽街道、および、那須基線「たて道」    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   那須塩原市の那須基線「たて道」(ライスラインの一部)    0.10 ~ 0.15 μSv/h  (車内で)
   那須塩原市千本松の国道400号線    0.250.48 μSv/h  で乱高下する。やや高い。(車内で)
   那須塩原市の那須高原南麓を走る県道30号線    0.17 ~ 0.25 μSv/h  (車内で)
   那須塩原市の那須高原を広谷地から那須湯本に上る県道17号線    0.13 ~ 0.22 μSv/h  (車内で)
   那須塩原市の那須高原を広谷地から黒磯に下る県道17号線    0.20 ~ 0.25 μSv/h  (車内で)
   那須塩原市の黒磯市街地    0.17 ~ 0.20 μSv/h  (車内で)
   那須塩原市の黒磯から黒羽くろばねに向かう県道17号線    0.20 ~ 0.23 μSv/h  (車内で)
   大田原市東部(旧 黒羽くろばね町)の国道294号線    0.09 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)

(38) 2012年5月27日(日)14時15分に、茨城県ひたちなか市馬渡にある自宅の居間の放射線量が アメリカ製線量計で初めて毎時 0.10 マイクロシーベルトを割って 毎時 0.09 マイクロシーベルトを示しました。たったの 20 秒間でしたが、この値を今まで待ちがれていたのです。ということで、記念としてしるしました。その後ぐに、0.12 ± 0.01 の値に戻ってしまいましたが、21時42分に再び、10秒間と20秒間の2回、0.09 に下がりました。しかし、その後直ぐに 0.10 に上がり、0.10 から 0.11 台を上下しています。なお、以前の状況は上記 (19)(29) に記してあります。
    私が見ている限りでは、その後しばらくは 0.10 を割ることがありませんでしたが、12日ぶりの 2012年6月8日(金)16時58分過ぎと59分過ぎに2回、約 5 秒間、自宅の居間の放射線量が 0.10 マイクロシーベルト毎時を下回って 0.09 になり、さらに、その4分後の17時3分から1分間、および、17時6分台の10秒間、0.09 になりました。その後、0.10 マイクロシーベルト毎時に戻った後、0.11 に上がり、毎時 0.11 ± 0.01 マイクロシーベルトが続いています。(2012年6月8日22時半現在)
    その後の梅雨寒つゆざむの数日間、北東の風が続き、毎時 0.10 マイクロシーベルトを下回ることがありませんでしたが、弱い南風の梅雨晴つゆばれとなった6月18日(月)午前11時50分から1分間と11時55分からの3分間、10日ぶりに自宅の居間の放射線量が毎時 0.09 マイクロシーベルトに下がりました。あとに 0.10 や 0.11 に上がりますが、時々 0.09 に下がってそれが持続するようになりました。さらに、その日の午後 15時38分に15秒間、毎時 0.08 マイクロシーベルトをマークしました。(2012年6月18日16時記)
   台風4号が本州を縦断して東方沖に抜けた直後の、強い南風が残る快晴の 2012年6月20日(水)10時30分から10秒間、自宅の東端にある寝室ではじめて、 0.10 マイクロシーベルト毎時を割って毎時 0.09 マイクロシーベルトを示しました。昨夜の風雨で放射性物質が一部洗い流されたためでしょうかね。寝室の外でも今までの毎時 0.14 ~ 0.15 マイクロシーベルトから 0.12 ~ 0.13 に下がっていました。(以上、2012年6月20日12時記)。そのあと毎時 0.11 ± 0.01 マイクロシーベルトが続きましたが、翌 21日(木)の12時5分から1分間以上と12時15分の30秒間に再び寝室で、0.09 マイクロシーベルト毎時になりました。こうして、寝室でも 0.09 に下がるのは普通になってきつつあります。加えて、0.13 以上になることもほとんどなくなりました。(2012年6月21日15時記)
    毎時 0.05 マイクロシーベルト以下の平常値になるのは何時いつのことでしょうかね。と、かつては思いましたが、意外に早く平常値になるかもしれないという期待が出てきました。半減期で計算するよりも早く。
    上記 2012年6月21日以来、梅雨つゆ時の北東風が吹いて、居間では連日、毎時 0.11 ± 0.01 マイクロシーベルトが続き、ほとんど毎時 0.10 マイクロシーベルトを下回ることがありませんでしたが、7月3日(火)午前に南風に変わり、11時25分に毎時 0.10 マイクロシーベルトを下回って 0.09 マイクロシーベルト毎時が持続するようにようになりました。それだけでなく、11時35分から10秒間、初めて毎時 0.08 マイクロシーベルトになりました。11時37分にも20秒間、11時39分に30秒間、11時43分から1分30秒間、毎時 0.08 マイクロシーベルトになりました。しかし、12時10分に再び毎時 0.10 から 0.11 マイクロシーベルトに上がり、毎時 0.10 マイクロシーベルトを割ることはなくなりました。あんじょう、12時55分に、風が北東風に変わっていたことが確認できました。ところが北東風がみ、弱い南東風になった夕方に毎時 0.10 マイクロシーベルトが安定して続き、19時33分から5分以上、毎時 0.09 マイクロシーベルトになり、途中、1分近く 毎時 0.08 マイクロシーベルトでした。(2012年7月3日14時、および、20時過ぎにしるす)
    2012年7月6日(金)は無風、または、弱い南東風に変わり、非常に蒸す日となりました。すると、我が家の寝室の空間放射線量が、これまで毎時 0.10 ~ 0.12 マイクロシーベルトであったものが、午前9時00分に毎時 0.09 マイクロシーベルトに下がり、さらに、9時05分に毎時 0.08 マイクロシーベルトに下がり、これが9時15分まで続きました。さらにこの間、何と、9時07分ごろから通算2分間、毎時 0.07 マイクロシーベルトを示し、我が家での最低記録を示しました。9時15分から毎時 0.09 マイクロシーベルトにもどったので、9時25分に線量計を居間に移して居間の空間放射線量を測りますと、0.08 マイクロシーベルト毎時を示し、これが9時36分までこの値が保たれました。9時36分からは夕方までずーっと毎時 0.09 マイクロシーベルトを維持いじしましたが、夕方に北東風に変わると、いつもの数値 0.10 ~ 0.11 に戻り、寝室でもいつもの 0.10 ~ 0.12 に戻りました。(2012年7月7日20時記)
    以上のように、上記 (31) にも書きましたが、福島第一原子力発電所の方から吹く北東風のときは空間放射線量が高めになり反対の南風のときは下がるようです。

(39) 2011年6月24日(日)早朝に、茨城県ひたちなか市向野むかいの団地で公園除草じょそう側溝掃除そっこうそうじが行われた。私は前記 (18) 以来、9ヶ月ぶりにアメリカ製放射線線量計を持参じさんして、放射線量を測定した。公園は矢張やはり放射線量がやや高く、毎時 0.20 マイクロシーベルトを示している。また、側溝掃除で出た土砂を入れた土嚢どのうに1センチ位に線量計を近づけて計ったところ、毎時 0.86 マイクロシーベルトになった。前記 (18) と大差ない。
    まただ放射線に対する警戒けいかいに予断を許さないものがある。

(40) 2012年7月24日(火)に文部科学省が、1昨年から昨年までに検出したストロンチウム90の月間降下量を発表し、すでに公表している福島県と宮城県を除く10都県で検出されたと伝えました。
   それによりますと、最も高かったところは何と、私が住む茨城県ひたちなか市の昨年3月の月間降下量が1平方メートル当たり6.0ベクレルでした。過去、国内で高かったのは、大気圏内の核実験により1963年に仙台で観測された358ベクレル/平方メートルと、チェルノブイリ原子力発電所の事故のときの1986年に秋田で観測された 6.1 ベクレル/平方メートルがあります。これと比べると今回のひたちなか市の放射能降下量はチェルノブイリのときの国内最大値とほぼ同じです。専門家によると、この程度の放射能では、健康上問題になる量ではないそうです。
    しかし、セシウム137と違って、カルシウムに性質が似通っているストロンチウム90は、 水に溶けやすく、 野菜に吸収されやすく、 体内に入ると骨や骨髄と結合するために骨のガンや白血病を引き起こす危険性がある、と言われています。
    検出された所で福島第一原子力発電所から遠い所は、北は岩手県と秋田県、南は何と神奈川県茅ヶ崎市ということです。

(41) 2012年10月23日(火)午前8時に茨城県ひたちなかインターチェンジから高速道路に入り、東水戸道路、北関東自動車道、常磐じょうばん自動車道、首都高速道路、東名高速道路、伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、伊勢自動車道を経て三重県に所用で行ったついでに、乗用車内の放射線量を測定しました。茨城県ひたちなか市から東京都足立あだち区までの結果を下表に示します。
    福島第一原子力発電所の大事故から1年半が過ぎ、ひたちなか市での放射線量は3,4割減りましたが、まだやや高めになっています。守谷もりやかしわなどホットスポットとして知られた地域では、下表でもその傾向が見られます。
    都内に入ると、測定値は低くなり、さらに西の方では平常値に近くなります。

  茨

  城

  県
   ひたちなか市の国道245号線    0.10 ~ 0.11 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   水戸市の東水戸道路と北関東自動車道    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
   茨城町いばらきまちの北関東自動車道    0.09 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
   笠間かさま友部ともべ常磐じょうばん自動車道    0.10 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   笠間市岩間いわまの常磐自動車道    0.12 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   小美玉おみたま市の常磐自動車道    0.12 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   石岡市、および、かすみがうら市の常磐自動車道    0.13 ~ 0.14 μSv/h  (車内で)
   土浦市、および、つくば市の常磐自動車道    0.12 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   つくばみらい市の常磐自動車道    0.13 ~ 0.14 μSv/h  (車内で)
   守谷もりや市の常磐自動車道    0.12 ~ 0.15 μSv/h  (車内で)
  千
  葉
  県
   かしわ市、および、流山ながれやま市の常磐自動車道    0.14 μSv/h  (車内で)
  埼
  玉
  県
   三郷みさと市の常磐自動車道    0.13 μSv/h  (車内で)
   八潮やしお市の常磐自動車道    0.08 ~ 0.09 μSv/h  (車内で)
  東
  京
  都
   足立あだち区のの首都高速6号線    0.07 μSv/h  (車内で)
   渋谷区のの首都高速3号線    0.05 μSv/h  (車内で)、低い。
  神
  奈
  川
  県
   横浜市港北区の東名高速道路    0.07 μSv/h  (車内で)
   厚木市の東名高速道路    0.05μSv/h  (車内で)、低い。

(42) 2012年10月28日(日)午後2時から、茨城県ひたちなか市のメインストリートである昭和通り(別称 33メートル通り)を馬渡まわたりの本郷台団地入口交差点から勝田駅に向かって西進し、NTTひたちなか営業所前の東石川1丁目交差点まで歩きました。公式発表でもそうでしたが、今日の空間放射線量はいつもの1割から2割り増しの高めです。馬渡で 0.13 μSv/h (地上1メートルの高さで。以下同)。歩いている間しばらくはこの値が持続しますが、笹野町1丁目で 0.15 μSv/h とやや高く、東石川2丁目のひたちなか市役所入口と吉田神社の近くで 0.20 μSv/h という最高値を示しました。
   このように、昭和通りでもやや高いところがあるのを初めて知りました。

(43) 2012年10月30日(火)は上記 (42) の10月28日より空間放射線量が下がり、いつもの値にもどっています。10月30日午前8時から、10月28日と同じコースを歩きました。空間放射線量はやや下がっているものの、全体的な傾向は10月28日と同じでした。ただ、28日に寄らなかった笹野町1丁目の常陽銀行ひたちなか支店に立ち寄ったときに、銀行と歩道の間のやや広いスペースで何と 0.25 μSv/h (地上1メートルの高さで。以下同) というホットスポットを見付けました。
    次に、お昼頃、車でひたちなか市北部の佐和駅近くに移動し、車を修理工場に置いて佐和駅まで歩きましたが、佐和駅手前の放射線量が 0.24 μSv/h を示し、一寸ちょっとしたホットスポットをていしていました。佐和駅からJR常磐線で一駅南の勝田駅まで電車で移動し、勝田駅からメインストリートの昭和通りを東に向かって中根上野かみの交差点まで、2.5キロメートルを歩きました。昭和通りの多くの地点は 0.120.13 μSv/hでしたが、次の3箇所は高めでした。① 勝田中央の 0.20 μSv/h、② 市役所入口付近の 0.15 μSv/h、③ 中根上野かみの交差点から100メートル西の 0.19 μSv/h です。
    要するに、車での移動では全く気付きませんでしたが、所どころで線量が高めになっている、ということです。

(44) 上記 (43) の翌日 2012年10月31日(水)の午後3時頃、ひたちなか市馬渡まわたり弥生やよい団地と向野むかいの団地を歩きました。前日の10月30日の天候は晴れで団地内の道路沿いで空間放射線量がどこでも 0.13 μSv/h (地上1メートルの高さで。以下同)でしたが、よく10月31日の当日の午後3時頃は曇時々小雨で、0.180.20 μSv/h に上がっていて、局所的に 0.24 μSv/h を示しました。ただ、室内での放射線量は天候に左右されません。
    なぜ雨が降ると高くなるのかは分かりませんが、上空にただよっている放射生物質を雨水が取り込んだためなのかなあ?
   なお、夏季の南風のときは放射線量が低く、福島第一原子力発電所の方から北東ないし北北東の風が吹くときに高くなることは、かなり上の方でしるしたとおりです。

    5日後の11月5日(月)の正午に同じコースを歩きました。天候は風弱く晴のち曇。このときの空間放射線量はどの場所も 0.100.11 μSv/h (地上1メートルの高さ)で安定していました。

   しかし、昨夕に雷雨があった翌日11月8日(木)の快晴の正午に再びここを歩く機会があり、空間放射線量を測りますと、 0.180.20 μSv/h (地上1メートルの高さ)もありました。雨の後はやはり高いですね。

(クリックすると拡大します)
グラスハウス屋内から見た景色
室内の線量は 0.11 μSv/hで低い。
グラスハウス南側の樹林にて
線量は 0.84 μSv/h で高い
国営ひたち海浜公園のグラスハウスにて
2012年12月24日(月)
気のせいか、右の写真が何か人工的な(白けた)色合いと縁取ふちどりに感じられ、
これは上記 (7)[註4]にある真ん中の写真と感じ方が似ています。
放射能の影響かとかんぐりたくもなります。
なお、実見よりも青みが強いのは、紫外線が強いためかもしれません。

(45) 2012年12月24日(月)に震災後初めて、自宅から近い国営ひたち海浜公園に行きました。ここの空間放射線量は私の線量計で、場所によって4段階に分けられるように思いました。一番低い段階は、広く開けた場所での毎時 0.15 マイクロシーベルト前後です。つぎに高い段階は 0.200.30 で、どちらかというと樹林に接するところです。さらに高い段階は 0.300.45 の区域で樹林地帯に散在しています。最も高い段階は、海浜公園の東南側の海岸に近い所にあるグラスハウスの南に広がる樹林地帯で、何と、0.450.84 に昇りました。これでも、福島県の居住地域で高い所に比べれば、決して高いとは言えず、健康上問題ないと言えるのでしょう。
   参考までに、現在の自宅の居間では、毎時 0.080.11 マイクロシーベルトで、何もなかったときの平常時の線量は 毎時 0.030.06 マイクロシーベルトとのことです。

[補記] 関東大震災後に東京大学地震研究所が設立され、1950年に近畿地方を襲ったジェーン台風後に京都大学防災研究所が設立されたように、今回の東日本大震災の1年後の2012年4月に東北大学防災科学国際研究所が開設されています。[以上、青葉工業会報(東北大学工学部同窓会報)No.56 (2012年12月)の1ページ掲載の青葉工業会会長・工学研究科長の金井 浩教授による巻頭言を参考にしました。]


(46) 上記 (38) の2012年7月以降、 2013年3月3日(日)現在まで、自宅の放射線量は気象条件にも左右されず、居間で 0.090.10 μSv/h 、寝室で 0.100.11 μSv/h を保ち続けています。2012年7月以前には天候に左右されましたが、以降では雨や風などによる放射性物質の流入出が落ち着いて、安定したためと思われます。それでも、空間放射線量は平常値の2.5倍あります。
    今後はセシウム137の半減期(30年)をはじめ、各種放射性物質の半減期に従ってくゆっくりと放射線量が減るのを待つしかありません。


(47) 福島第一原子力発電所の水素爆発事故から2年になろうとしている2013年3月現在、多くの食品は放射能検査で基準値以下の安全性が保障されてきました。しかし、一部のシイタケやタケノコ、そして、一部の魚介類は、今なお、基準値を上回る放射能が検出されて出荷停止となっています。(茨城県においても)
    學士會がくしかい会報(March No.899 2013-Ⅱ)74ページから始まる<特別寄稿>「ドイツのエネルギーシフト」(フォルカー・シュタンツェル氏[ドイツ連邦共和国駐日大使]著)の中の75ページに、「(チェルノブイリの)事故による汚染おせん物質は、南ドイツ、オーストリア、北イタリアの土壌どじょうにまで堆積たいせきしました。このため、例えば南ドイツでは、イノシシやキノコは今でも食べられません。」とあります。
    チェルノブイリの事故から27年った、はるかに離れた南ドイツで今なお、放射能汚染で食べられない食品があるというのです。東日本の場合はどうなのでしょうかね。


(48) 大震災後では始めて、2013年5月6日(月)に磐越自動車道を利用しました。そのときの放射線量を車内で測定したものを下表に示します。まだ、高い所もありました。

  茨
  城
  県
   常陸大宮市の国道293号線    0.07 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   道の駅「美和」(常陸大宮市)    0.07 μSv/h  (車内で)、0.09 μSv/h  (車外の1メートル高さ)
  栃
  木
  県
   那賀川町馬頭ばとうの国道293号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   那賀川町小砂こいさごの県道    0.030.05 μSv/h  (車内で)、平常値に近い。
   大田原市黒羽くろばねの国道294号線、および、461号線    0.06 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   道の駅「与一の里」(大田原市)    0.06 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)、0.07 ~ 0.16 μSv/h  (車外の1メートル高さ)
   那須塩原市の国道400号線、および、東北自動車道    0.09 ~ 0.14 μSv/h  (車内で)
   那須町の東北自動車道    0.14 μSv/h  (車内で)
  福
  島
  県
   白河市の東北自動車道    0.14 μSv/h  (車内で)
   泉崎村、矢吹町、鏡石町、および、須賀川市の東北自動車道    0.09 μSv/h  (車内で)
   郡山市の東北自動車道    0.12 ~ 0.16 μSv/h  (車内で)
   郡山市の磐越自動車道(郡山ジャンクションから新潟方面へ)    0.17 ~ 0.23 μSv/h  (車内で)
   郡山市熱海町の磐越自動車道    0.12 ~ 0.17 μSv/h  (車内で)
   猪苗代町の磐越自動車道、国道115号線、および、毘沙門沼(五色沼)    0.07 μSv/h  (車内で)
   磐梯吾妻スカイライン(南半分)、および、浄土平    0.06 μSv/h  (車内で)
   郡山市の磐越自動車道(郡山ジャンクションからいわき方面へ)    0.14 ~ 0.42 μSv/h  (車内で)、やや高く、移動とともに激しく変動する。
   三春町の磐越自動車道    0.17 ~ 0.23 μSv/h  (車内で)
   田村市船引町の磐越自動車道    0.15 ~ 0.20 μSv/h  (車内で)
   磐越自動車道の阿武隈高原サービスエリア    0.09 μSv/h  (車内で)
   小野町の磐越自動車道    0.09 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
   いわき市の磐越自動車道、および、常磐自動車道    0.10 ~ 0.15 μSv/h  (車内で)
  茨
  城
  県
   北茨城市の常磐自動車道    0.10 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   高萩市の常磐自動車道    0.09 μSv/h  (車内で)

(49) 2013年5月23日(木)16 時頃、ひたちなか市表町のある駐車場で、福島第一原子力発電所の事故以来、ひたちなか市内で初めて空間放射線量が普通乗用車の中ですが 0.03 μSv/h という低い値(平常値)を示しました。しかし、同じ市内の自宅の寝室では、未だ 0.08 0.10 μSv/h を示しています。

(50) 2013年5月25日(土)10 時半に用事のついでにひたちなか市平磯ひらいその名所・観濤かんとう所にはじめて来ました。下の写真に示すように、毎時 0.88 マイクロシーベルトという高い空間線量を示しました。(林内コンクリート舗装の歩道上 1メートルの高さで)。なお、木々の間から見える明るい青色は平磯海岸の海原うなばらの色です。

(クリックすると拡大します)
木々の間から海原うなばらの明るい青色がけて見えます。
線量は 0.88 マイクロシーベルト毎時で高い
ひたちなか市平磯ひらいその名所・観濤かんとう所へ登る林にて
2013年5月25日(土)午前10時30分撮影

  (クリックすると拡大します)
伊達だて霊山りょうぜん町の国道115号線にて   2013年6月2日(日)

(51) 2013年5月28日(火)に全域が警戒区域となっていた福島県双葉町が、4パーセントの人口にあたる北東部の帰還準備区域(年間被ばく線量20ミリシーベルト以下)と残りの96パーセントの人口にあたる帰還困難区域(50ミリシーベルト超)の2区域に再編されました。(なお、20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下の居住制限区域は、双葉町には設定されていません。)
    以上のことを受けて、私たちは6月2日(日)に当地の放射線量がどうなっているのかを確かめるために、当地に向かいました。しかし、浪江町内の国道6号線は通れますが、脇道の町道には通行証がないと入れず、さらに、双葉町との境界に検問所があり、双葉町には入れませんでした。それで、ここでUターンせざるを得ませんでした。ここまでの往路の道中、車内で観測した放射線量を次の表に示します。
    なお、各所で土壌放射能の除染作業が行われています。次の文献に書かれているように、放射性セシウムは土壌の深さ 5 センチ程度以内に収まっているので、その程度の表土を取り除いて十分のようです。
    (文献1)登尾浩助:土壌環境を計測するセンサ, 計測と制御(計測自動制御学会誌)pp.672-678 第4章, Vol.52, No.8 (2013).
    (文献2)溝口 勝:土壌汚染と放射線モニタリング, 計測と制御(計測自動制御学会誌)pp.730-735, Vol.52, No.8 (2013).

  茨
  城
  県
   ひたちなか市    0.08 ~ 0.10 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   那珂市    0.07 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   東海村の常磐自動車道    0.09 μSv/h  (車内で)
   日立市の常磐自動車道    0.09 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   高萩市の常磐自動車道    0.11 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   北茨城市の常磐自動車道    0.10 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
  福

  島

  県
   いわき市の常磐自動車道    0.11 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   いわき市の磐越自動車道(東部)    0.11 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   いわき市の磐越自動車道(差塩さいそPA、および、その前後)    0.09 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   いわき市の磐越自動車道(西部)    0.11 ~ 0.16 μSv/h  (車内で)
   小野町の磐越自動車道    0.10 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   田村市の磐越自動車道    0.07 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
   三春町の磐越自動車道    0.09 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   郡山こおりやま市の磐越自動車道    0.13 ~ 0.18 μSv/h  (車内で)
   本宮もとみや市、および、大玉村の東北自動車道    0.15 ~ 0.20 μSv/h  (車内で)
   二本松市の東北自動車道    0.15 ~ 0.30 μSv/h  (車内で)  で地点ごとに値が異なる。
   福島市の東北自動車道    0.13 ~ 0.26 μSv/h  (車内で)  で地点ごとに値が異なる。
   福島市内の市街地     0.11 ~ 0.57 μSv/h  (車内で)  で地点ごとに変動が大きい。
   福島市の国道115号線    0.13 ~ 0.36 μSv/h  (車内で)  で地点ごとに異なる。
   伊達だて霊山りょうぜん町の国道115号線    0.12 ~ 1.08 μSv/h  (車内で)  で地点ごとに変動が大きく非常に高い所もある。
   相馬そうま市の国道115号線(山間部)    0.16 ~ 0.46 μSv/h  (車内で)  で地点ごとに変動が大きい。
   相馬市の国道115号線(平坦部)    0.12 ~ 0.16 μSv/h  (車内で)
   相馬市の国道6号線    0.12 ~ 0.14 μSv/h  (車内で)
   南相馬市の国道6号線    0.11 ~ 0.22 μSv/h  (車内で)
   浪江町なみえまちの国道6号線    0.22 ~ 0.24 μSv/h  (車内で)

(52) 2013年6月9日(日)22時から23時15分のフジテレビ「Mr.サンデー」というニュース番組で、「7日に、千葉県市川市の河口から400メートルの江戸川で捕れた天然ウナギから、国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を上回る140ベクレルの放射性セシウムが検出され、流域内の天然ウナギが出荷自粛となった。ただ、天然ウナギは流通したとしても一部の高級料亭にしか出荷されていないため、一般への影響はないという。原因は、関東の山岳地帯の放射性セシウムを含む雪解け水が流れ込んだことなどとしている。なお、東京湾のすべての魚介類は引き続き問題ないという。」と報じられました。

(53) 2013年6月23日(日)の午後、長野県東御とうみの上信越自動車道で、走行中の車内ですが、2011年7月に購入したアメリカ製放射線量計[上記(14)を参照]が、購入して以来初めて毎時 0.02 マイクロシーベルトという最低値を示し、安心感に満たされました。
    引き続き、2013年7月6日(土)昼に、同じ東御市の浅間サンロード沿いにある道の駅「雷電くるみの里」駐車場で、車内ですが、この放射線量計で2回目の最低値の毎時 0.02 マイクロシーベルトを示しました。

(54) 2013年8月8日(木)午前に、ひたちなか市馬渡の自宅内(寝室)で初めてアメリカ製放射線量計で毎時 0.06 マイクロシーベルトに下がり、また、自宅駐車場の乗用車内で毎時 0.04 マイクロシーベルトという低い値を示しました。昨日までは、自宅内で 0.07 マイクロシーベルト毎時を下回ることはなく、駐車場内の車内では 0.06 マイクロシーベルト毎時を下回ることはなかった。なお、以前の自宅内については上記(46)項および(49)項を参照されたい。
    しかし、その後まもなく以前の状態(自宅内で毎時 0.08 0.09 マイクロシーベルト)に戻ってしまいました。
    2013年8月13日(火)9時半頃に10分間、再び、自宅内(寝室)で毎時 0.06 マイクロシーベルトに下がりました。その後、毎時0.07 マイクロシーベルト以上に戻り、しばらくは2週間、毎時 0.07 ~ 0.08 マイクロシーベルトを維持していましたが、9月に入ってからは毎時 0.08 ~ 0.10 マイクロシーベルトというやや高い数値に推移して10月に入ろうとしています。丁度このときは、偶然とは思いますが、福島第一原子力発電所の汚染水貯蔵タンクからの300トンもの汚染水漏れが発覚した後のことです。
    その後、11月29日の現在まで、ずっと、毎時 0.08 0.10 マイクロシーベルトというやや高い数値を持続しています。恐らく、もう 0.06 マイクロシーベルト毎時以下に下がることは当面なさそうで、セシウム137の半減期30年の長いスパンで下がるのを待つしかすべはなさそうです

(55) 2013年9月10日まで、我が家(茨城県ひたちなか市)の食料と飲み水の大半は長野県産を使っていました。1ヶ月に2度の割で、わざわざ長野県まで野菜を中心に食料を買い出しに自家用車で出掛けていました。最近は茨城県でも上記(54)に記すように、空間放射線量がかなり低下してきたこと、かなり以前からキノコとタケノコ以外の地元産の野菜類や市の水道に放射性物質を検出されなくなったとのニュースが流れていたこと、長野を往復するガソリン代などの負担が年金生活に重くのしかかっていること、の理由で、2013年9月10日をもって、食料と水を地元産に切り替えることにしました。
    一方、福島第一原子力発電所における汚染水を貯めた一部のタンクから高濃度放射能汚染水の大量漏れが持続し、さらに、それが地下水に混入して海に流出している、ということが判明し、深刻な問題となっています。しかも、漏れの原因が分からないというのです。我が国だけでは手に負えない状況で、スリーマイル島原子力発電所事故処理に当たっていたアメリカ人2名の技術者が派遣されるに至っています。

(56) 2013年11月4日(月)に福島県二本松市の「第59回二本松菊人形」に行ってきました。この時期には、放射線量はかなり低くなっているとタカをくくっていましたが、広い会場の霞ヶ城(二本松城)内は未だ線量が高く、低い所でも毎時 0.2 ~ 0.3 マイクロシーベルト、高い所では毎時 0.9 マイクロシーベルト毎時に達し、安全圏内とはいえ、放射能を浴びに行ってきたようなものでした。茨城県ひたちなか市の10倍です。

(クリックすると拡大します)
菊人形
線量は毎時 0.86 マイクロシーベルトで高い
「第59回二本松菊人形」にて
2013年11月4日(月)午後

(57) 2014年5月19日(月)22時のテレビ朝日の「報道ステーション」で、福島県内の児童の甲状腺がん確定数が50人に上ることが分かったそうです。これは6000人に1人の割合であり、一般の罹患率100万人に1人の割合を大幅に上回っています。福島第一原発事故の放射線の影響かどうかは未だ分からないそうですが。

(58) 2014年6月19日(木)にバターを買いに半年振りに栃木県那須塩原市の千本松牧場に来ました。今は現役ではないので、倹約のため自動車の遠出は極力避けていますが、ここのバターは風味がよいのでやむを得ず来たわけです。ここの駐車場で放射線量を測ると、毎時 0.19 マイクロシーベルトで、上記には書いていませんでしたが、2011年当時の毎時 0.80 から 0.90 マイクロシーベルトを観測したこと、および、上記(37)項のときの値に比べて格段に減少しました。しかし、茨城県ひたちなか市に比べると、かなり高止まりになっています。

(59) 2014年12月3日現在のひたちなか市馬渡の自宅の放射線量
    自宅の放射線量の現況を、上記(38)(45)(48)(54)の各項に書きましたが、2014年12月3日時点では、この半年間、毎時 0.08 マイクロシーベルトのほぼ一定値を示し、変らなくなりました。北東風や雨天の場合は少し上昇、南風や晴天では少し減少ます。これは、原発事故前の正常値と言われる 0.04 に比べれば、2倍の高止まりとなったままです。セシウム137の半減期30年の長いスパンで下がるのを待つしかすべはなさそうです

(60) 2014年12月23日現在自宅の放射線量が少し上昇して下げ止まりになっています
    上記(59)以降、茨城県ひたちなか市馬渡の自宅の放射線量が毎時 0.09 マイクロシーベルトに頻繁ひんぱんに上がるようになり、時々、毎時 0.10 マイクロシーベルトにもなりました。それは、福島第一原子力発電所の巨大な仮のカバーをはがし始め、さらに、燃料プール内の燃料を全て取り出した頃でしたが、関連性は不明です。12月20日に北茨城ジオパークのかたにこのことを聞いてみますと、「最近、なぜか放射線量が上昇している、と私も聞いています。理由は分かりません」とのことです。このことが2015年2月27日現在も続いていて、最高、毎時 0.11 マイクロシーベルトになることがあります。
    なお、前期(54)項に記したような毎時 0.06 マイクロシーベルトにまで下がることは全くなくなり、残念に思っています。

(61) 鹿島灘に大量のクジラが打ち上げられた日から2週間後にネパール大地震
    2015年4月10日に茨城県鉾田ほこた市の鹿島灘に156頭のクジラが打ち上げられ、地元の人々の救出も空しく、ほとんど全てのクジラが息を引き取ったそうです。上記(10)に書いたように、私は「近々、また、大地震がやってくるのではないか」と、そのとき思いました。案の定あんのじょう、2015年4月25日にネパール大地震が勃発ぼっぱつし、首都カトマンズをはじめネパール全域で建造物が壊滅的な破壊を受け、ヒマラヤでは巨大な雪崩なだれや落石が起こり、死者6700人になってしまいました。近隣諸国のインド、中国、バングラデシュでも少なからず死者が出たそうです。
    大量のクジラが打ち上げについて、専門家の話では、黒潮くろしおに乗ってやって来たクジラが、茨城沖で親潮おやしおという寒流にあい、複雑な海流の交差で暖流に戻れなくなって、寒流から逃げる形で鹿島灘に打ち上げられたそうで、地震との関連はないそうです。しかし、上記(10)に続いて2度あるということは、次に、3度目があるかもしれませんね。

(62) 2015年5月2日現在の自宅の放射線量が急に改善されました
    上記(60)に、ひたちなか市馬渡の自宅の放射線量が下げ止まりになったことを書きましたが、2015年4月下旬に急に改善され、それ以降、平均で毎時 0.07 マイクロシーベルトになり、毎時 0.06 マイクロシーベルトに下がることもよくあるようになりました。理由は分かりません。
    さらに、5月10日午前に、震災以来初めて、かなり長い時間、毎時 0.05 マイクロシーベルトに下がり、さらに1分程、震災前の定常値である 毎時 0.04 マイクロシーベルトまで下がりました。しかし、午後には、毎時 0.07 マイクロシーベルト、もしくは、毎時 0.08 マイクロシーベルトに戻り、翌日もその値を保持しています。


  (クリックすると拡大します)
除染作業   山本暁子さん撮影
2015年5月20日(水)14時
福島県白河市白坂の国道294号線にて
(63) 国道の除染作業

    2015年5月13日(水)昼過ぎと5月20日(水)午後、福島県白河市白坂の国道294号線を通ったときに、3箇所で国道の路肩を除染していたため、片側通行規制がされていました。原発事故から4年経った今でも、まだ放射能除染が施行中なのですよ。大変なことなのだ。放射能の影響は5年経過した頃から数10年後経ても、甲状腺ガンや白血病などのガン発症が現れますので、これからの人体に深刻な事態が懸念けねんされるのです。


(64) 2015年7月31日に自宅の放射線量が再び毎時 0.05 マイクロシーベルトに下がりました

    上記(62)のとき以降、ひたちなか市馬渡の自宅の放射線量が毎時 0.06 マイクロシーベルトから 0.07 マイクロシーベルトを維持していましたが、2015年7月31日午前10時過ぎに3か月ぶりに 0.05 マイクロシーベルトを示し、1分間続きました。その後 0.06 マイクロシーベルトに戻りました。
    1週間後の8月5日午前10時前から時々、毎時 0.05 マイクロシーベルトまでに下がりました。平時は 0.06 マイクロシーベルトから 0.07 マイクロシーベルトを維持しています。
   さらに、8月7日の猛暑の中、午前10時頃に福島第一原発事故以来、初めて毎時 0.04 マイクロシーベルトに下がり、午後にも、一時、この値に下がりました。これはほぼ事故前の平常値です。その後、再び、 0.06 マイクロシーベルトに戻りました。

(65) 2015年8月8日に自宅の放射線量が毎時 0.08 マイクロシーベルトに上がりました
    2015年8月8日の立秋の日に1か月振り位に北東の風が吹き、急にやや涼しくなりました。前日までは猛暑の南寄りの風でした。と同時に、自宅の放射線量が毎時 0.08 マイクロシーベルトに上がるようになりました。上記にも書きましたが、北東風が吹くと放射線量が上がります。何故なのか? 福島第一原発の方から風に乗って放射性物質が飛来してきたためか?その後、常時、毎時 0.05 から 0.07 マイクロシーベルトを維持しています。

(66) 2015年11月20日に、2年ぶりに自宅の放射線量が毎時 0.10 マイクロシーベルトに上がりました
    2015年11月20日午前に、上記 (54) 以来2年ぶりに自宅の放射線量が、毎時 0.10 マイクロシーベルトに上がり 0.09 0.10 マイクロシーベルトを維持しています。昨日までは 0.06 0.08 マイクロシーベルトでしたので、この上昇は目立っています。最近、やや強い北東風が吹きすさんでいましたので、その影響があるのかな、と思いました。なお、北北東方向に福島第一原子力発電所があります。
    この日の午後には、0.07 0.08 マイクロシーベルトに戻りました。

(67) 2016年3月、福島県内で18歳未満の甲状腺がん検診の2巡目が発表されました。
    福島県内で2011年10月から2015年4月までに行われた18歳未満の30万人による1巡目の甲状腺がん検査では、100人ががんと確定、15人ががんの疑いありと診断されています。今回の2巡目の検査では、新たに、16人ががんと確定、35人ががんの疑いありと診断されました。通常、100万人中、2,3人程度の確率なので、これらの結果は通常の100倍近い高率で甲状腺がんが発生していることになり、誠に忌々ゆゆしきことです。福島第一原子力発電所の事故による放射能の影響によるものと思うのが自然ですが、何故か、県の検討委員会としての結論は、いろんな条件を提示して、放射能の影響によるものとは言い難い、と発表されました。しかし、検討委員会の討論内容を見ると、メンバー個々の半数近くが放射能の影響と判断していますので、今後のさらに詳しい検査と他県による比較検査が必要です。

(68) 2016年6月4日(土)に鬼婆伝説のある福島県二本松市安達ヶ原に行きました。車で国道118号線、293号線、294号線、4号線、そして、帰途に349号線、およひ、福島県道を走行しました。このときに車内で測定した放射線量を下表に示します。上項(48)(51)と比較して、かなり放射線量が低減していることが分かります。しかし、福島県中通地方では未だやや高い所があります。



  茨
  城
  県
   ひたちなか市馬渡    0.09 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   ひたちなか市東大島    0.04 ~ 0.06 μSv/h  (車内で)
   常陸大宮市市街地の国道293号線    0.04 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   常陸大宮市緒川の国道293号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   常陸大宮市美和の国道293号線    0.04 μSv/h  (車内で)
  栃
  木
  県
   那賀川町小川の国道294号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   大田原市伊王野の国道294号線    0.07 μSv/h  (車内で)
  福
  島
  県
   白河市の国道4号線    0.06 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   泉崎村、矢吹町、鏡石町の国道4号線    0.05 μSv/h  (車内で)
   須賀川市の国道4号線    0.04 ~ 0.06 μSv/h  (車内で)
   郡山市の国道4号線    0.08 ~0.15 μSv/h  (車内で)
   本宮市の国道4号線    0.10 μSv/h  (車内で)
   二本松市金色久保の国道4号線    0.14 ~0.17 μSv/h  (車内で)
   二本松市安達ヶ原の県道    0.11 ~0.14 μSv/h  (車内で)
   田村市の国道349号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   小野町の国道349号線    0.05 μSv/h  (車内で)
   いわき市遠野町入遠野の県道    0.05 μSv/h  (車内で)


  (クリックすると拡大します)
葛尾村最奥にある
迂回路表示

2016年8月4日(木)16時
(69) 2016年8月2日(火)10時に車で茨城県ひたちなか市を出発し、国道245号線、国道6号線、国道399号線を乗り継いで福島県相馬そうま飯館いいたて村の直前まで行って来ました。国道399号線は、福島県双葉郡川内村以外は大震災後初めて訪れました。アメリカ製の小型放射線線量計をたずさえて、道中の車内で空間放射線量を測定し続けました。その結果をここで報告します。ひところよりは放射線量が下がり、例えば、上記(32)での川内村役場では 0.17 μSv/h であったのが、今回は 0.07 ~0.11 μSv/h のようにかなり下がっています。
    399号線の川内村に向かう途中のいわき市北端の屹兎屋山きっとやさんから降りてきた国道脇や、田村市都路みやこじ町、双葉郡葛尾かつらお村の水田が、放射能除染によって生じた大量の放射性廃棄物の仮置き場となって、延々と続いていました。今でもあちこちで放射能除染作業が続いており、大量の汚染物質の袋詰めを積んだ大型トラックに何台も出会いました。最も放射能汚染の酷かった飯舘村に行こうと思えば行けたのですが、「この先、帰還困難区域につき通行制限中。迂回うかいしてください」という看板の指示に従って、飯舘村には入りませんでした。翌々日も同じコースで訪問し、撮り損なった写真を撮り直しました。

  茨
  城
  県
   ひたちなか市の国道245号線    0.07 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   那珂郡東海村の245号線    0.05 μSv/h  (車内で)
   日立市の国道245号線および国道6号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   高萩市の国道6号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   北茨城市の国道6号線    0.03 μSv/h  (車内で)
  福

  島

  県
   いわき市南部の国道6号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   いわき市北部の国道6号線    0.05 μSv/h  (車内で)
   いわき市北端の茱萸平の国道399号線    0.07 μSv/h  (車内で)
   いわき市北端の屹兎屋山付近の国道399号線    0.15 ~ 0.22 μSv/h  (車内で)
   双葉郡川内村南部郊外の国道399号線    0.11 ~ 0.15 μSv/h  (車内で)
   双葉郡 川内村 市街地および北部の国道399号線    0.07 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   田村市都路町の国道399号線    0.08 ~ 0.11 μSv/h  (車内で)
   双葉郡葛尾村の国道399号線    0.12 ~ 0.18 μSv/h  (車内で)
   田村市の東北部を走る県道    0.09 ~ 0.14 μSv/h  (車内で)
   田村市船引町の国道349号線    0.06 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   田村郡小野町の国道349号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   田村郡平田村の国道349号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   石川郡古殿町の国道349号線    0.05 ~ 0.06 μSv/h  (車内で)
   東白川郡鮫川村の国道349号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   東白川郡塙町那倉の国道349号線    0.06 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   東白川郡矢祭町の国道349号線    0.05 μSv/h  (車内で)
  茨
  城
  県
   常陸太田市里美町    0.05 μSv/h  (車内で)

  (クリックすると拡大します)
いわき市北端の屹兎屋山近くの
国道399号線脇に積まれた
放射能汚染物

2016年8月2日(火)15時
葛尾村の谷津の水田に置かれた
大量の放射能汚染物

2016年8月4日(木)16時
葛尾村の囲いの中の
放射能汚染物の仮置き場

2016年8月2日(火)14時半

  (クリックすると拡大します)
左画像地点での
放射能モニタリングポスト
0.392 μSv/h と平常値の
10倍も高い

2016年8月4日(木)16時
左画像地点付近における
放射能汚染物の仮置き場の一部
緑のシートが掛けられている下に
放射能汚染物が積まれている

2016年8月2日(火)15時
左画像の続きの
放射能汚染物の仮置き場

2016年8月2日(火)15時


(70) 2016年8月13日(土)10時に車で茨城県ひたちなか市を出発し、国道245号線、国道6号線を北上して、メルトダウン事故を起こした福島第一原子力発電所のある大熊町と双葉町の7キロ南の地点の福島県双葉郡富岡町まで行って来ました。アメリカ製の小型放射線線量計をたずさえて、道中の車内で空間放射線量を測定し続けました。その結果は次のようです。途中の茨城県北茨城市の国道6号線の車内で、私がこの5年間で測定した最も低い放射線量 0.02 μSv/h を観測した一方、福島県大熊町直前の6号線で今回の最高放射線量 1.09 μSv/h という平常時の40から50倍の放射線量を観測しました。大熊町や双葉町や浪江なみえ町は車外から出ない条件で、車で通過することが可能ですが、未だ非常に高い放射線量に恐れをなして、私たちは大熊町に入らずに、折り返して帰途につきました。それらの地帯は帰還困難地域となっており、富岡町でも、ほとんどの家屋に住民が帰還しておらず、屋根瓦の修理もなされず、庭も田んぼも雑草におおわれていました。また、あちこちの田んぼには、前項(69)と同様に、大量の放射性廃棄物の袋詰めが、一時仮置き場として、巨大なシートカバーの下に積まれていました。
    なお、前項(33)と比較すると、いわき市や広野町では大いに放射線量が下がっていますが、楢葉ならは町以北は相対的に依然高い。

  茨
  城
  県
   ひたちなか市中央の昭和通り    0.05 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   ひたちなか市馬渡    0.04 μSv/h   (車内で)
   那珂郡東海村の245号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   日立市の国道245号線および国道6号線    0.03 ~ 0.05 μSv/h  (車内で)
   高萩市の国道6号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   北茨城市の国道6号線    0.020.03 μSv/h  十分に低い(車内で)
  福

  島

  県
   いわき市の国道6号線    0.030.04 μSv/h  (車内で)
   双葉郡広野町の国道6号線    0.08 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
   双葉郡楢葉町の国道6号線    0.12 ~ 0.34 μSv/h  で移動ごとに変動する。(車内で)
   双葉郡富岡町の国道6号線    0.18 ~ 1.09 μSv/h  で激しく変動する。高い。(車内で)

  (クリックすると拡大します)


(71) 2016年7月25日号の市報ひたちなかで、市民全員への「安定ヨウ素剤の事前配布」の予告が下の画像に示すように報じられました。この決定は全国初のことです。そして予告通り、2016年8月18日(木)に、ひたちなか市から「安定ヨウ素剤の事前配布」の案内が届きました。上項 (57) および (67) に書きましたように、福島県内で18歳未満の甲状腺がん検診の結果、通常の確率統計よりはるかに高率で異常が見つかっています。ひたちなか市の北隣の東海村に東海第二原子力発電所があり、2011年の大震災ときには被害がない状態で稼働は停止しています。が、もし再稼働した後、万が一、福島第一原子力発電所のようなメルトダウン事故が起きた場合を想定して、今回の「安定ヨウ素剤の事前配布」となったもののようです。下の画像にその封筒と書状を示します。
    書状には次のように書かれています。
    「市では、この度全市民を対象とした安定ヨウ素剤の事前配布を、全国初の「薬局配布方式」により行います。
    茨城県では、国の原子力災害対策指針に基づいて、PAZ 圏(原子力施設から 5 Km 圏内)に住む住民に限定し事前配布を行っています。
    本市としましては、万が一、原子力災害が発生した場合、その影響は PAZ 圏だけにとどまるものではなく、PAZ 圏とその他の地区の間に線を引くことは意味のないものと考えています。
    また、事故発生時に、全ての市民に混乱なく配布することは事実上不可能であることから、服用指示があった際に、全ての市民が即座に服用できるよう、態勢を整える必要があると考え、全市民への安定ヨウ素剤の事前配布を行うものです。
    ❇この事前配布は、原子力災害対策指針に基づいて行うものであり、東海第二原子力発電所の再稼働を前提としたものではありません。」

  (クリックすると拡大します)
2016年7月25日号の市報ひたちなか
2016年8月18日に安定ヨウ素剤の事前配布の案内状が届く

  (クリックすると画面が変わります)
配布された安定ヨウ素剤(1人当たり2錠)
2016年8月27日(土)
    2006年8月27日に、薬局に行って安定ヨウ素剤(ヨウ化カリウム丸)を受け取りました。1人当たり2錠です。その画像を右に示します。この安定ヨウ素剤は、原子力発電事故に伴う市からの服用指令があった場合、直ちに2錠を服用することになっています。なお、この安定ヨウ素剤の有効期限が3年なので、3年後に再び市から配布通知が届くそうです。また、市からの服用指令があった場合、直ちに服用できるよう、常時、携帯して持っている必要があるとのことで、例えば、家に置きっ放しで職場になかった場合、などの懸念が生じさせないためとのことです。


(72) 2016年8月18日のテレビニュースで、福島第一原子力発電所のメルトダウンした炉内に流れ込む地下水を遮断するために、昨年から発電所の周囲の地下を氷の壁で取り囲むという大規模の工事が完了したものの、99パーセントしか凍らないと報じられました。そして、残りの凍らない1パーセントに地下水が集中するなどで、流れを止めることが出来ないとの解説があって、専門家のなかには、この計画は破綻していると見られているそうだ。

    2016年8月19日のテレビニュースで、福島第一原子力発電所で作業をしていた方の白血病について、作業中に浴びた放射能の影響が認められて防災認定されたと報じられました。防災認定は2人目だそうです。浴びた放射線量は総計 46 ミリシーベルトだそうです。実際は、認定されない放射能の被害者がもっと多くおられるのではないか、と私は見ています。私が今まで訪問した内で最も高かった放射線量は、上記 (34) に示した 1.31 マイクロシーベルト毎時ですが、単純計算で、この放射線を約 4 年浴び続けると、上記 46 ミリシーベルトになります。ということは、福島県内で高い放射線量の地域に住んでいる方々の健康が心配だ、ということになります。


(73) 茨城県ひたちなか市の民間団体「さよなら原発ひたちなか市実行委員会」が2016年7月11日に発行した「ニュース さよなら原発 第45号」に、ひたちなか市内でも福島第一原発のメルトダウン事故による放射線濃度が高い地域である「ひたちなか市南神敷台」で、ケヤキの街路樹7本における地上50センチでの放射線量の測定結果が載っていました。
    2016年9月15日(木)午前に、私もその同じ地点で、放射線量を、地上50センチの高さと1メ-トルの高さで測定してみました。その測定結果を次の表に、「さよなら原発 第45号」の結果と比較して示します。私の結果は「さよなら原発 第45号」の結果より時間が経過した分、やや下がっていますが、全体的な傾向は、両者の測定器が異なるにもかかわらず、ほゞ一致しています。なお、「さよなら原発 第45号」の測定器は堀場製作所の HORIBA PA1000 Radi で、私の測定器は上記 (14) 項に書きましたように、アメリカ製(組み立ては中国)の DoseRAE 2 PRM-1200 です。

   街路樹(ケヤキ)番号       「さよなら原発 第45号」の   
   地上50センチでの測定結果   
   私の地上50センチでの   
測定結果
   私の地上1メートルでの   
測定結果
西 48 1.10 μSv/h 0.75 μSv/h 0.48 μSv/h
西 49 0.77 μSv/h 0.56 μSv/h 0.31 μSv/h
西 50 0.27 μSv/h 0.15 μSv/h 0.15 μSv/h
西 51 0.60 μSv/h 0.55 μSv/h 0.22 μSv/h
西 52 0.54 μSv/h 0.43 μSv/h 0.20 μSv/h
西 53 0.38 μSv/h 0.30 μSv/h 0.23 μSv/h
西 54 0.64 μSv/h 0.60 μSv/h 0.22 μSv/h

(クリックすると拡大します)
「ニュース さよなら原発 第45号」の記事より

    翌年2017年11月11日に発行の「ニュース さよなら原発 第58号」に、「ひたちなか市南神敷台」における1年後の放射線量測定結果が次のように載っていました。去年よりは少し下がっています。

(クリックすると拡大します)
「ニュース さよなら原発 第58号」の記事より


(74) 2016年11月22日早朝の5時59分、福島県沖にマグニチュード 7.4 のやや強い地震が発生しました。陸上での最大震度は 5 弱で大きな被害はありませんでしたが、各地に津波があり、最大で、宮城県仙台港で 1.4 メートルの津波がありました。メルトダウンのあった福島第一原子力発電所でもこの地震の影響は特にありませんでした。
    ところが、この時から私の家に設置してある放射線計は現時点の12月3日まで、連日、毎時 0.09 マイクロシーベルトを示し、下がっても毎時 0.08 マイクロシーベルトにしかなりません。上記 (65) 項、(66) 項のように一時的に放射線量が上がることはありましたが、最近では概ね、(64) 項のように毎時 0.06 マイクロシーベルトという比較的低い値を維持していましたので、現在の毎時 0.09 マイクロシーベルトは高いと思います。何故、放射線量が上ったのかの原因は分りません。が、今回の地震と何か関係ありそうです。
    しかし、12月4日以降、毎時 0.07 マイクロシーベルトに落ち着きました。
    と思った矢先、翌日から毎時 0.080.09 マイクロシーベルトに戻ってしまい、現在の12月8日に至っています。


(75) 2016年12月4日7時から、ひたちなか市馬渡地区の団地内の公園除草と側溝掃除が行われた時に袋詰めにされた落ち葉と土砂から放出する放射線量を、袋の表面ギリギリのところで計測しました。予想に反して、せいぜい毎時 0.10 マイクロシーベルトでした。上記 (18) 項の 0.82 マイクロシーベルトや (36) 項の 0.82 マイクロシーベルトに比較すると、表土から放射性物質がこの数年間の雨水でほとんど流れ去った結果を示しているようです。


(76) 2016年12月12日(月)8時に車で茨城県ひたちなか市を出発し、三重県志摩市の現在の実家に向けて高速道路で移動しました。このときに車内で計った放射線量は次の通りで、全体的に正常の範囲内でした。

  茨
  城
  県
   ひたちなか市    0.07 ~ 0.08 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   常磐自動車道・美野里みのりPA付近(小美玉市)    0.07 μSv/h   (車内で)
   常磐自動車道・谷田部やたべPA付近(つくば市)    0.07 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   常磐自動車道・守谷SA付近(つくばみらい市)    0.07 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
  埼
  玉
  県
   常磐自動車道・三郷みさとJCT付近(三郷市)    0.06 μSv/h  (車内で)
   首都高速道路・八潮IC付近(八潮市)    0.05 μSv/h  (車内で)
  東
  京
  都
   首都高速道路 千代田区内    0.06 μSv/h  (車内で)
   首都高速道路 世田谷区内    0.05 μSv/h  (車内で)
  神
  奈
  川
  県
   東名高速道路・港北PA付近(横浜市)    0.05 μSv/h  (車内で)
  静
  岡
  県
   新東名高速道路 沼津市    0.05 μSv/h  (車内で)
   新東名高速道路・静岡SA付近    0.06 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   新東名高速道路・浜松SA付近    0.05 ~ 0.06 μSv/h  (車内で)
  愛
  知
  県
   伊勢湾岸自動車道 名古屋市付近    0.05 μSv/h  (車内で)
  三
  重
  県
   東名阪自動車道・御在所SA付近(四日市市)    0.05 μSv/h  (車内で)
   伊勢自動車道・伊勢IC付近(伊勢市)    0.05 μSv/h  (車内で)
   国道167号線 志摩市阿児町    0.04 ~ 0.05 μSv/h  (車内で)


(77) 2016年12月24日(月)8時に車で茨城県ひたちなか市を出発し、国道349号線を福島県東白川郡鮫川さめがわ村まで北上し、帰りは、118号線を南下しました。その時の放射線量を下に示します。福島県南部のこれらの国道沿いは、上記 (41) 項の一部にも書きましたように、福島県南部での国道349号線と118号線沿いは、意外に放射線量は低く、正常範囲内であった

  茨
  城
  県
   ひたちなか市    0.07 ~ 0.10 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   常陸太田市里美地区    0.06 μSv/h   (車内で)
  福

  島

  県
   東白川郡矢祭やまつり洪沢ぬかりさわ    0.05 μSv/h  (車内で)
   東白川郡鮫川さめがわ    0.06 μSv/h  (車内で)
   石川郡石川町    0.05 μSv/h  (車内で)
   石川郡浅川町    0.05 μSv/h  (車内で)
   東白川郡棚倉たなぐら    0.07 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   東白川郡はなわ    0.07 μSv/h  (車内で)


(78) 2016年12月29日(木)7時半に車で茨城県ひたちなか市を出発し、山梨県富士川町の妻の親戚に向けて高速道路で移動しました。このときに車内で計った放射線量は次の通りす。山梨県内の笹子トンネル以西は2011年の東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン大事故の影響をほとんど受けていないことが分かります。それ以東はは多少の影響を受けていることが分かります。

  茨



  城



  県
   ひたちなか市    0.06 ~ 0.09 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   東水戸道路自動車道・水戸南IC付近(水戸市)    0.06 μSv/h   (車内で)
   東水戸道路自動車道・茨城東IC付近(茨城町)    0.06 μSv/h   (車内で)
   東水戸道路自動車道・茨城西IC付近(茨城町)    0.07 μSv/h   (車内で)
   常磐自動車道・友部JCT付近(笠間市)    0.09 ~ 0.10 μSv/h  (車内で)
   常磐自動車道・美野里みのりPA付近(小美玉市)    0.08 μSv/h   (車内で)
   常磐自動車道・石岡バス停付近(石岡市)    0.10 μSv/h   (車内で)
   常磐自動車道・千代田石岡IC付近(かすみがうら市)    0.08 μSv/h   (車内で)
   常磐自動車道・土浦北IC付近(土浦市)    0.07 μSv/h   (車内で)
   常磐自動車道・谷田部やたべPA付近(つくば市)    0.08 μSv/h  (車内で)
   常磐自動車道・守谷SA付近(つくばみらい市)    0.07 μSv/h  (車内で)
  千
  葉
  県
   常磐自動車道・柏IC付近(柏市)    0.10 μSv/h  (車内で)
  埼
  玉
  県
   常磐自動車道・三郷みさとJCT付近(三郷市)    0.07 μSv/h  (車内で)
  東

  京

  都
   首都高速道路・加平かへいIC付近(足立区)    0.06 μSv/h  (車内で)
   首都高速道路・堀切JCT付近(葛飾区)    0.05 μSv/h  (車内で)
   首都高速道路 千代田区内    0.05 μSv/h  (車内で)
   中央自動車道・国立府中IC付近(国立市)    0.06 μSv/h  (車内で)
  山

  梨

  県
   中央自動車道・談合坂SA付近(大月市)    0.04 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   中央自動車道・双葉SA付近(甲斐かい市)    0.03 ~ 0.05 μSv/h  (車内で)
   中部横断自動車道・増穂ますほIC付近     0.04 ~ 0.05 μSv/h  (車内で)
   富士川町下高下しもたかおり    0.03 μSv/h  (車内で)


(79) 2017年3月31日に福島県相馬そうま飯館いいたて村が、一部の帰還困難区域を除いて避難指示が解除されました。それで、私たちは、2017年4月10日(月)10時に車で茨城県ひたちなか市を出発し、常磐自動車道、国道399号線を乗り継いで、上記の(69)項と同じように、飯館村に向かいました。ところが、上記の(69)項と全く状況が変わらず、双葉郡葛尾かつらお村の北端に設置してある放射線量観測ポストから399号線を北上できず、飯舘村に入れませんでした。後でわかったのですが、399号線では未だ帰還困難区域のままであったためで、もっと西にある349号線経由で行けば、帰還困難区域を通らずに飯舘村に入ることが分かりました。取り敢えず、今回の放射線量の観測結果を以下の表に示します。

  茨
  城
  県
   ひたちなか市馬渡    0.07 μSv/h (マイクロシーベルト/毎時)  (車内で)
   那珂市菅谷の349号線    0.05 μSv/h  (車内で)
   常磐自動車道 日立・常陸太田IC    0.05 μSv/h  (車内で)
   常磐自動車道 日立中央IC    0.07 μSv/h  (車内で)
   常磐自動車道 日立北IC    0.06 μSv/h  (車内で)
   常磐自動車道 中郷SA(高萩市)    0.04 μSv/h  (車内で)
  福

  島

  県
   いわき市内    0.04 ~ 0.05 μSv/h  (車内で)
   いわき市北部から双葉郡川内村に至る山越えの国道399号線    0.09 ~ 0.20 μSv/h  (車内で)
   川内村周辺部の国道399号線    0.07 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   川内村中心部    0.05 ~ 0.07 μSv/h  (車内で)
   田村市都路みやこじ町の国道399号線    0.08 μSv/h  (車内で)
   双葉郡葛尾かつらお村の国道399号線    0.10 ~ 0.18 μSv/h  (車内で)
   双葉郡葛尾村北平の放射線量観測ポスト付近    0.12 ~ 0.16 μSv/h  (車内で)
   0.160.30(地上1.2m)
   葛尾村北平の放射線量観測ポストの線量表示    0.356 μSv/h  
   双葉郡葛尾村北平から西へ風越峠まで    0.14 ~ 0.23 μSv/h  (車内で)
   双葉郡葛尾村の境界の風越峠以西    0.10 μSv/h 以下  (車内で)

  (クリックすると拡大します)
おかえりなさい
川内村役場 上記(32)項を参照

2017年4月10日(月)13時半
0.356 μSv/h
葛尾村北平の放射線量観測ポスト
2017年4月10日(月)14時

  (クリックすると拡大します)
葛尾村の田圃に設置された放射能汚染物仮置き場
2017年4月10日(月)14時過ぎ

  (クリックすると拡大します)
この先帰還困難区域につき通行止め
双葉郡葛尾村と浪江町の境界の国道399号線にて
2017年4月10日(月)14時過ぎ


(80) 2017年4月14日(金)に、茨城県から349号線をひたすら北上して、強い放射能汚染の一つであった福島県伊達だて川俣かわまた町の山木屋地区に車でやって来ました。ここも2017年3月31日に解除されたばかりです。東隣の双葉郡浪江なみえ町には通行証がなければ入れない状態でした。この浪江町には、放射能汚染の激しい地区の一つとして知られた津島地区が続いています。
    今回の山木屋地区に至るまでに記録した放射線量の観測結果を次に示します。
    私事ですが、20数年前に1人で山木屋の114号線を車で通った時に、ハッとして心を奪われる様な綺麗な娘さん性を見ていた記憶があります。ここは美人がいる地区なのだろう。あの娘さんは今どうしているのだろうか。

  福

  島

  県
   東白川郡矢祭町の国道349号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   東白川郡はなわ町那倉の国道349号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   東白川郡鮫川さめがわ村の国道349号線    0.03 ~ 0.06 μSv/h  (車内で)
   田村郡古殿ふるどの町の国道349号線    0.04 μSv/h  (車内で)
   田村郡平田村の国道349号線    0.05 μSv/h  (車内で)
   田村郡小野町の国道349号線    0.05 μSv/h  (車内で)
   田村市の国道349号線    0.04 ~ 0.05 μSv/h  (車内で)
   二本松市東和地区の国道349号線    0.07 ~ 0.08 μSv/h  (車内で)
   二本松市東和地区から伊達郡川俣町山木屋地区に向かう山越えの県道    0.09 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   伊達郡川俣町山木屋地区の国道114号線    0.13 ~ 0.56 μSv/h  (車内で)
   山木屋地区高林の放射線量観測ポスト付近    0.13 μSv/h  (車内で)
   0.15 μSv/h  (地上1.2m)
   山木屋地区高林の放射線量観測ポストの線量表示    0.218 μSv/h  
   山木屋地区水境(双葉郡浪江町との境界)にある放射線量観測ポスト付近    0.52 μSv/h  (車内で)
   0.85 μSv/h  (地上1.2m)  高い
   山木屋地区水境(浪江町との境界)にある放射線量観測ポストの線量表示    0.838 μSv/h  高い

  (クリックすると拡大します)
通行証の検査風景
伊達郡川俣町山木屋地区高林の
放射線量観測ポスト
帰還困難区域へのゲート
伊達郡川俣町山木屋地区と双葉郡浪江町との境界の
国道114号線にて
2017年4月14日(金)

  (クリックすると拡大します)
放射線量が0.838 μSv/h と極めて高い
伊達郡川俣町山木屋地区水境(双葉郡浪江町との境界)の
国道114号線にて

2017年4月14日(金)

  (クリックすると拡大します)
川俣町山木屋地区のあちこちに設置されたおびただしい数放射能汚染物仮置き場
2017年4月14日(金)


(81) 2017年4月16日(日)に、福島県相馬そうま飯館いいたて村に行って、放射線量を観測してきました。ここは3月31日に、一部の帰還困難区域を除いて避難指示が解除されたばかりです。帰りは、福島県南相馬市から常磐自動車道を南下し、当の大事故のあった福島第一原子力発電所のある自治体をも通過して、茨城県に戻って来ました。その時に車内等で記録した放射線量の観測結果を次に示します。

  福

  島

  県
   磐越自動車道 船引三春IC(インターチェンジ)    0.05 μSv/h  (車内で)
   二本松市(旧)東和町地域の国道349号線    0.06 μSv/h  (車内で)
   伊達だて川俣かわまた町の国道349号線および県道12号線    0.07 μSv/h  (車内で)
   相馬郡飯館村西部の県道12号線および国道399号線    0.08 ~ 0.12 μSv/h  (車内で)
   飯館村中央部および西部の県道12号線    0.150.45 μSv/h  (車内で)
   飯舘村関根谷地向にある森の駅「まごころ」にて    0.300.68 μSv/h  (車内で)
   0.300.45 μSv/h  (地上1.2m)
   森の駅「まごころ」に設置された放射線量観測ポストの線量表示    0.422 μSv/h  
   南相馬市の西部山間部の県道12号線    0.15 ~ 0.45 μSv/h  (車内で)
   南相馬市の山側平坦部の県道12号線    0.14 ~ 0.24 μSv/h  (車内で)
   南相馬市の海側平坦部の県道12号線    0.09 ~ 0.13 μSv/h  (車内で)
   南相馬市の常磐自動車道    0.09 ~ 0.48 μSv/h  (車内で)
   浪江町の常磐自動車道    0.250.69 μSv/h  (車内で)
   双葉町の常磐自動車道    0.160.70 μSv/h  
   双葉町の常磐自動車道に設置の放射線量観測ポストの線量表示    3.70 μSv/h  極めて高い
   大熊町の常磐自動車道    0.250.69 μSv/h  
   大熊町の常磐自動車道に設置の放射線量観測ポストの線量表示    1.40 μSv/h  高い
   富岡町の常磐自動車道    0.12 ~ 0.69 μSv/h  
   富岡町の常磐自動車道に設置の放射線量観測ポストの線量表示    1.30 μSv/h  高い
   楢葉ならは町の常磐自動車道    0.12 ~ 0.56 μSv/h  
   楢葉町の常磐自動車道に設置の放射線量観測ポストの線量表示    0.40 μSv/h  
   広野町の常磐自動車道    0.11 μSv/h  
   いわき市北部の常磐自動車道    0.09 ~ 0.10 μSv/h  
   いわき市南部の常磐自動車道    0.05 ~ 0.06 μSv/h  

  (クリックすると拡大します)
放射線量が0.422 μSv/h
飯舘村関根谷地向にある森の駅「まごころ」にて
2017年4月16日(日)

  (クリックすると拡大します)
放射線量が0.55 μSv/h
飯舘村大谷地にて
2017年4月16日(日)

  (クリックすると拡大します)
飯舘村のあちこちに設置されたおびただしい数放射能汚染物仮置き場
2017年4月16日(日)

  (クリックすると拡大します)
放射線量が0.49 μSv/h
飯舘村赤石沢?にて
これより南の飯舘村長泥ながとろ地区が
非解除地域のため
国道399号線が通行止め

飯舘村割木付近
2017年4月16日(日)

  (クリックすると拡大します)
飯舘村役場
放射線量が0.36 μSv/h
飯舘村と南相馬市の境界付近
2017年4月16日(日)


(82) 2017年4月20日(木)に、常磐線の普通電車で東京に行って来ました。そのついでに、電車内で各駅ごとに放射線量を観測しました。2011年3月の時の福島第一原子力発電所の大事故の時に放出されて降ってきた放射線量の各場所ごとの差異が、その放射能がかなり弱まったとはいえ、今回の各駅の観測結果の微妙な放射線量の差として現れているようです。これらの放射線量の観測結果を次に示します。当然のこととは言え、全て、安全な線量を示しています。

  茨
  城
  県
   ひたちなか市内    0.05 ~ 0.08 μSv/h  (路線バス内で)
   常磐線勝田駅ホーム上    0.09 ~ 0.12 μSv/h  (1.2メートル高にて)
   常磐線水戸駅    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線赤塚駅    0.04 μSv/h  (電車内で)
   常磐線内原駅    0.04 μSv/h  (電車内で)
   常磐線友部ともべ    0.04 μSv/h  (電車内で)
   常磐線岩間駅    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線羽鳥はとり    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線石岡駅    0.04 μSv/h  (電車内で)
   常磐線高浜駅    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線神立かんだつ    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線土浦駅    0.04 μSv/h  (電車内で)
   常磐線荒川沖駅    0.06 μSv/h  (電車内で)
   常磐線ひたち野牛久うしく    0.06 μSv/h  (電車内で)
   常磐線牛久うしく    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線佐貫さぬき    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線藤代ふじしろ    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線取手とりで    0.06 μSv/h  (電車内で)
  千

  葉

  県
   常磐線天王台てんのうだい    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線我孫子あびこ    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線柏駅    0.05 μSv/h  (電車内で)
   常磐線松戸駅    0.04 μSv/h  (電車内で)
  東

  京

  都
   常磐線北千住きたせんじゅ    0.03 μSv/h  (電車内で)
   常磐線南千住みなみせんじゅ    0.04 μSv/h  (電車内で)
   東北・常磐・高崎線日暮里にっぽり    0.03 μSv/h  (電車内で)
   東北・常磐・高崎線上野駅    0.03 μSv/h  (電車内で)
   東京都中央区銀座通り    0.04 μSv/h  (地上1.2メートルの高さ)
   東京都中央区の某デパート地下    0.05 μSv/h  (床上1.2メートルの高さ)
   東京駅八重洲口コンコース    0.05 μSv/h  (床上1.2メートルの高さ)


(83) 上記(2)項、および、(7)項に、原子力事故のときに、強い放射能の影響と思われる皮膚ひふへの異常感覚があったことを書きました。要約すると、次のようです。
    上記(2)項の場合: 1986年4月26日にソビエト連邦(現 ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所の大事故の直後、世界中に強い放射性物質の降灰や強い放射能を含んだ降雨がありました。我が国、特に、西日本に強い放射能雨が降りました。そのとき私は出張でまさに強い放射能雨の降る中、大阪駅北口を傘をさしてホテルに向って歩いていました。左手首に雨がかかったそのとき、今までに経験したことのないピリピリピリという刺激が感じられたのです。この時はチェルノブイリ事故のこと、放射能雨のことは全く意識していませんでしたが、ホテルにチェックインして部屋に入って直ぐにテレビで「現在、大阪地方に降っている雨から強い放射能が検出されました。」というニュースで初めて知り、あわてて、左手首を丁寧ていねいに洗ったのです。
    上記(7)項の場合: 2011年4月27日(水)のTBSテレビ11時から始まるヒルオビという番組で、ある新聞記事にった福島市内での女子高校生の会話が紹介されました。「雨にれると何かピリピリするね。放射能かしら。早く洗わないと。」とあります。

    (本題)2017年5月16日昼過ぎに、私達は茨城県常陸大宮市鷲子とりのこ(旧 美和村鷲子)の国道293号線を栃木県に向かってトンネルを抜けて直ぐにある美和亭で昼食を取っていました。隣の食卓で民間の歴史研究家の3人の男女の方々が食事を取りながら、にぎやかに全国各地、果ては、中国から中央アジアの歴史探訪について話し合っています。その中で、2011年3月の福島第一原発事故の直後に福島県中通りから栃木県那須塩原を訪問した時の話が興味深く伝わってきました。「福島県二本松市は放射線量が物凄ものすごく高くて毎時 5 マイクロシーベルトだったよ。いまここは 0.0・・ だからその100倍以上。その時ははだチクチクしてたわよねぇ」。 「そうそう。放射能でチクチクチクチクと。二本松から郡山、そして、白河まで放射線量が高くて」。 「原発事故直後に行った栃木県那須塩原市の塩原渓谷のモミジ谷でもすごチクチク感じたなぁ」。 そして、「中国の国境を流れる黒龍江から日本に伝わってきた・・・・・。黒龍江の上流のアルタイやその南のタクラマカン砂漠のあの辺からチベットにかけて・・・・・」と、本題の歴史民族の話が延々と続いていました。

(84)    2017年7月21日(金)午前に、上記(64)項、および、(66)項の記述以来、1年半振りに毎時 0.05 マイクロシーベルトの正常値になり、かなり長時間持続しました。が、お昼から夜にかけては毎時 0.06 に、翌日からは以前の 0.060.07、時には、 0.08 マイクロシーベルトに戻ってしまいました
    なお、2011年3月11日の事故以前の値は毎時 0.04 マイクロシーベルト、もしくは、それ以下ですから、事故で放出された放射能が今なお残っていることになります。事故で大量に放出され、今なお残留していると思われる主な人工放射性元素はセシウム137ですが、この元素の放射能の半減期が30年なので、放射能の残存は仕方のないことです。他に、量は非常に少ないかもしれませんが、ウラン235の半減期は7億年。

(85)    2017年7日24日(月)に、福島第一原子力発電所のメルトダウン事故により原子炉の底から下に溶け落ちた原子燃料と原子炉の構造物とのデブリを、小型移動ロボットの潜入によって初めてカメラ撮影ができたとテレビで公表されました。メルトダウンけ落ち、原子炉を支える鉄骨をも溶かして互いにからまり、大量にまっている地下水のプールの中にみにくデブリとしてそれが存在していました

(86)    2017年8月12日(土)午前10時頃、自宅の放射線量が、いつもよりかなり高い毎時 0.09 マイクロシーベルトを、数分間、示しました。天候は涼しい北東風が吹く曇空。これは、上記の(73)項以来、9ヶ月ぶりの高い数値です。その後、0.08 マイクロシーベルトに戻り、午後には、いつもの 0.07 マイクロシーベルトに戻りました。

(87)    2017年8月21日(月)午前に、上記(84)項の記述以来、1ヶ月振りに毎時 0.05 マイクロシーベルトの正常値になり、かなり長時間持続しました。その後、毎時 0.06 マイクロシーベルトに戻り、これが連日、継続しています。また、4日後の8月25日(金)午後にも、しばらくの間、毎時 0.05 マイクロシーベルトを示しました。
   しかし、その後、今ここに加筆している2018年3月9日(金)の現在まで、毎時 0.05 マイクロシーベルトに下がることはなく、毎時 0.060.09 マイクロシーベルトの状態が継続しています。

(88)    2018年3月8日(木)の複数のテレビ報道によると、福島第一原子力発電所大事故の放射能汚染の現状について、次の各項が分かりました。
     発電所敷地内の放射線量が、最悪時の千分の1まで下がっているものの、現在なお、毎時 100 ~ 700 マイクロシーベルトの非常に高い値を示しているそうです。
     セシウムは水に溶けやすい性質のものなので、土壌汚染された放射性セシウムもやがて水に流されて減少していくものと思われましたが、現実には、ある時点から減少幅が小さくなっていたことが分かりました。今まで知られていなかったセシウムボールという目にも見えるガラス状の水に溶けないセシウムの集合体が発見されたのです。発見された当時はボール状だってので「セシウムボール」と名付けられたのですが、一般には、不定形の固形物だそうです。この状態で土壌に長期間留まるということ、また、作業員の体内でも排出されずに留まり、長期間放射線を浴びる、ということで、高濃度放射能環境で作業に当たった多くの作業員の健康チェックにも大きな影響を及ぼすということらしい。
     福島第一原子力発電所敷地内に、汚染水の処理水が入ったタンクが既に830基もあり、タンクの貯水量は100万トンを突破し、さらに、3,4年後には福島第一原子力発電所敷地内にはタンクが満杯になるそうです。それに対する解決策はないという。福島第一原子力発電所建屋周りの地下水を汲み上げて除染の後、海に流すサブドレンの効果で、福島第一原子力発電所敷地内に溜まる汚染水量は往時の半分に減って来たものの、核種除去装置(ALPS)では除去できない放射性トリチウム(三重水素)を含んでいるため、汚染水が溜まり続けている、ということらしい。なお、この核種除去装置は、放射性物質63種のうち62種は除去できるのだが、放射性トリチウムだけはできないのである。
     避難指示が解除されている飯舘村(上記 81 項を参照)に戻る住民が現在なお少なく、多くの元住民は福島市などから飯舘村の職場などに車で通っているという。
   なお、飯舘村長泥地区(上記 2 項に写真で示した)は今なお、帰還困難区域のままです。
   (以上、2018年3月9日記)

(89)    2018年4月19日(木)に、ひたちなか市馬渡の本郷台団地にある NPO 法人「くらし協同館なかよし」が主宰する高齢者食事会に1人500円の会費で、妻と参加しました。減塩など、健康志向の手作りの食事が振る舞われます。月2回の木曜日に開かれて、毎回、10人くらいが参加しています。私と妻も昨年から時々参加して来ました。今日は、タケノコ、ニンジン、レンコンなどの煮付け、鶏肉とのシュウマイを葉で包んだもの、魚の煮付け、塩分が少なく具の多い味噌汁、ご飯の健康食。美味しい。90歳を超える方もおられます。全員が食事を終えて、お食事を作られたこれも高齢の女性が最後に、次のように挨拶されました。
    「ひたちなか市では最近、タケノコが放射能汚染による禁止食物から解除され、食べられるようになりました。かと言って、無断でタケノコを刈って食べることは出来ません。必ず、市役所で放射能測定を行って危険がないと判定なされなければなりません今回のお総菜のタケノコも市役所で放射能検査をして許可を得たものです。」と言われたので、私はビックリです。茨城県ひたちなか市では、もう全ての食品はとっくの昔に放射能の汚染から解除されていたのかと思っていました。しかも、解除されても、勝手には食べてはいけないこと、市役所で放射能の安全性を検査してからではならないこと、を改めて知らされたわけです。

  (クリックすると拡大します)
検体のタケノコの水煮
放射能検査の測定結果
2018年5月8日(火)に測定

(90) 前項(89)に書きましたように、茨城県ひたちなか市では2018年春にタケノコが放射能汚染による禁止食物から解除されました。もっと前に解除されていた、と思っていた筆者は、2週間前に牛乳屋さんに頂いていた湯がいたタケノコにやや不安を感じて、ひたちなか市役所農政課にそのタケノコを持って行って、放射能検査をお願いしました。明日に検査結果が分かると言います。この検査のためには、500グラム以上の食品が必要とのことで、頂いたタケノコの8割を検体用として提出しました。残りの2割は私たちの食料用に充てる積りです。
    翌日の午前にに検査が終わったということで、午後に放射能検査結果の資料を受け取りました。タケノコの検体およびその検査結果を右の画像にかかげます。
    その検査結果の書かれたシートの見方が分からなかったので、翌々日に、市役所におもむき、検査をして下さった元・日本原子力研究所(現・日本原子力開発機構)の方に会って、いろいろ教えて下さいました。
    結果を示すグラフの横軸は、ガンマ線の光子(光量子)1個当たりのエネルギーを示し、縦軸は観測された光子の個数を示します。結果のグラフは、自然界から常時放出されるガンマ線の光子の個数を表しているそうで、それはバックグラウンド・ノイズと言われるものです。それから突出されるカウントがあれば、それは人工の放射性物質から放射される放射能としてのガンマ線(光子)として観測されることになります。が、今回はそれが観測されていないので、私が検査を依頼したタケノコには人工放射性物質が「不検出」と結論されたのです。なお、グラフの裾野すそののカリウム40(K-40)付近のガンマ線のエネルギーが盛り上がっていますが、これも自然界の成せるわざだそうで、人工放射性のK-40元素によるものではないとのこと。
美味おいしくいただきました。

(91)    これまで、福島第一原子力発電所の爆発による高濃度放射能汚染状況を書いてきましたが、ここから13キロ南にある福島第二原子力発電所 (福島県双葉郡楢葉ならは町) があり、幸いにも冷温停止の状態にありましたが、2018年6月14日(木)朝のテレビ報道で、東京電力は、この福島第二原子力発電所も全機廃炉を目指してゆく方針であることを福島県知事に伝えた、ということです。

(92)    上記(87)項の記述後10ヶ月経った我家の寝室の放射線量は次の通りです。
   観測史上初の6月に梅雨明けが宣言された翌日の2018年6月30日(土)午前10時頃(天気は快晴の気温32度)に、寝室の窓際で、2011年3月の原発大事故以来、初めて毎時0.04 マイクロシーベルトに下がり、毎時 0.040.05 マイクロシーベルトの状態が続きました。なお、原発大事故以前の当地の放射線量の正常値は毎時 0.020.05 マイクロシーベルトだそうです。
    また、当日午後には、毎時 0.050.06 マイクロシーベルトという最近のいつもの状態に戻っています。

(93)      2018年10月28日(日)13時半の NHK 総合テレビ番組・NHK サイエンスZERO 「シリーズ原発事故 (19) ”被ばく量”解明への挑戦」の冒頭で、原子力発電所事故の放射能拡散による子供の甲状腺がんの発生率について、福島県「県民健康調査」検討委員会の発表が報道されました。その内容は次の通りです。
    事故前の全国子供の甲状腺がんの発生率は、「1年間あたり1~2人/100万人」ですが、事故後7年半の間に発生した福島県内の子供の甲状腺がんの発生率は、何と、「214人/38万人」となってはるかに高くなっています。ただし、214人の中には良性2人が含まれています。甲状腺がんの発がんは、放射性ヨウ素131が発育期の子供の甲状腺に大量に取り込まれて、そこから出る放射能によって甲状腺組織細胞の遺伝子がこわれてがん化するものです。
    この高率になった理由ついて、検討委員会の見解は「被ばくの影響か、または、スクリーニング実施によって高い数値となったか、のいづれかが分からない。」というものでした。
    私が単純に計算し直して比較をしてみます。
    福島県内の子供の甲状腺がんの発生率は、7年半の間に「214人/38万人」となっていますが、これを1年間に換算するに 214人を7.5で割って 28.53人/38万人となります。これを100万人当たりに換算するに 28.53人に100万/38万を掛けて 75人100万人 となり、これはこの項に最初に提示した事故前の全国の発生率「1年間あたり1~2人/100万人」の 75 ~ 38 倍」の高率で甲状腺がんが発生したと考えるのが自然で、これは明らかに原発事故による放射能の影響であると見て間違いありません。
    ならば、なぜ、検討委員会は明確な判断を下せないのでしょうか。上記報道にもありましたように、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故の時には、子供の被ばく直後の調査人数はベラルーシとウクライナ両国合わせて28万人だったのに対して、福島原発事故の直後の調査人数は、たったの1080人。このように我国では初期調査がほとんどなされていないために、判断にお茶をにごしたものと思われます。
    この国は最早もはや、先進国ではないのです。




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Updated: 2011.10.22, edited by N. Yamamoto.
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