かつて、我が国の男子レスリングはオリンピックでメダル常勝でした。ところが、1984年のロサンゼルス・オリンピックで、江藤正基選手がグレコローマン57Kg級の決勝戦で西ドイツの選手と対戦したとき、主審の誤審により、金メダルの筈が銀メダルに泣き、日本の抗議も通りませんでした。ご存知の方も多いと思いますが、この選手は山本信雄の妻・山本暁子(旧姓名 仁藤暁子)の妹さん・江藤恵子(旧姓名 仁藤恵子)さんの旦那さんの弟さんです。なお、江藤選手は、前年度の世界選手権で優勝しています。
ロサンゼルス・オリンピックに招待観戦されていた江藤選手のご親戚の方々は、目の前の決勝戦が誤審と分った瞬間の腑に落ちない気持は如何量りであったかを、後年、山本信雄の妻から伺っています。
一方、山本信雄はこのとき、夏季休暇をとって、猛暑の中、新潟県の妙高山系の焼山付近で1人車を止めてNHKラジオの中継を熱心に聴いていました。審判の誤審には暫らく暗澹とした気持でいましたが、そのときは、現在の妻との出会いから江藤氏の親戚になるとは夢にも思っていませんでした。世間は狭い。 江藤氏は選手を引退後は後進の指導に尽力し、日本レスリング協会理事などの要職を歴任。長年、自衛隊体育学校の教官として教育に携わって来られ、ご多忙の日々を送られましたが、2009年3月に定年ご退官なされています。今後とも、氏のご健康をお祈りする次第です。
男子グレコローマンスタイルでの復活が望まれるところです。
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