HOME | ENGLISH |
私は、新しい技術革新の、また、新しい遺伝子の時代を切り開かれて名を馳せた次の方々と、奇しくも、同級として勉学に勤しみました。諸氏に敬意を払い、感謝し、諸氏の益々のご発展をお祈りいたします。
[1] フラッシュメモリ(Flash memory)の発明者 である 舛岡富士雄氏 (Dr. Fijio MASUOKA) ( 同左 )( 東北大学電気通信研究所 名誉教授、前㈱東芝) は平成19年(2007年)度春の紫綬褒章を受章し、平成25年(2013年)度の文化功労者に選ばれ、さらに、平成28年(2016年)度秋の瑞宝重光章を受章されましたが、昭和41年(1966年)3月卒業の東北大学工学部電子工学科3年、並びに、4年で、私と同クラスでした。舛岡氏は静かな方で正しい姿勢で、熱心にじっと講義を聴いていました。
[舛岡氏の発明が東芝のメモリー部門を救ってきた] NE(日経エレクトロニクス)誌2015年5月号の82-83ページに「東芝のメモリー事業は、なぜ生き残りなぜ好調なのか」というタイトルで、好調の要因はフラッシュメモリーにあるということが書かれています。すなわち、舛岡富士雄氏が東芝時代に発明したフラッシュメモリーが東芝を救っているということです。他のメーカーはDRAM をはじめとした多くの半導体産業が、韓国、中国、台湾などの安売り攻勢に遭い衰退の一途を辿り、半導体部門を分社化したり、国内外の他企業に身売りしたりして、半導体部門の切捨てを行わざるを得なかったのと対照的に、独り、東芝の半導体部門だけが生き残って今なお好調なわけです。しかし、東芝自身は、舛岡氏の発明のお陰だとは余り認識していないようです。それは、東芝が舛岡氏に支払った裁判による特許権料がたったの8千万円に現れています。1桁以上高く支払うべきだった、と私は思っています。東芝は舛岡氏を社運を向上させた大功労者として、会社を上げて認識・認定し、表彰する必要があります。 |
右が舛岡富士雄氏、左が同級のご友人の 浅見誠治氏(仙台工業高等専門学校 名誉教授)。同級の山本1信雄(本ホームページ のスタッフ)が撮影。 |
右から順に、舛岡富士雄氏、同級の山本信雄、 続いて、同級の青木秀明氏(後に松下電器産業㈱)。 同級の浅見誠治氏が撮影。 |
[2] DVD の発明者、または、生みの親 と言われる 山田尚志氏 (Dr. Hisashi YAMADA) ( 元㈱東芝 )は、私と1962年度入学における東北大学工学部の教養課程1年4組、並びに、2年4組の同クラスであった。山田氏は明るく社交的で、休講の時間いつの間にか野球道具を携え、「オイ、みんな、ソフトでも、しに行こうや。」とクラスを誘っていました。また、並外れた聡明な見識を備えていました。 |
1965年4月16日(金)撮影 |
1965年5月11日(火)撮影 |
[3] 2013年11月3日、東北大学名誉教授 岩崎俊一先生が天皇陛下から文化勲章を授与されました。1977年に発明され、2005年から実用化された垂直磁気記録の功績によるものです。ハードディスクをはじめ従来の記録装置をすべてこの垂直磁気記録に置き換えられた革新的な超高密度の記録装置として全世界を席巻しています。 |
[4] 糖鎖遺伝子の医学的発見 に対して2005年度の
紫綬褒章
を受賞された 谷口直之氏(Dr. Naoyuki TANIGUCHI) ( 大阪大学大学院医学研究科 名誉教授、理化学研究所基礎研究所グループディレクター、大阪大学産業科学研究所招へい教授)は、2011年6月11日に第101回学士院賞を受賞されました。 |
以上、もし、ご覧戴いている皆様に正確な情報がございましたら、ご連絡ください。修正いたします。 |
HOME |