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山本信雄     山本暁子


14.   凍結とうけつした袋田ふくろだの滝

    2012年の1月は寒い日が続き、雪国ではかつての豪雪に次ぐ積雪。茨城県の袋田の滝も完全凍結したというニュースに2月4日(土)に見物に行きました。 が、この日は寒さがややゆるみ、滝の氷はややけていました。

(クリックすると拡大でご覧なれます)
凍結した袋田の滝(茨城県久慈くじ大子町だいごまち袋田)
2012年2月4日(土)15時
ここの放射線線量は 0.12 マイクロシーベルト毎時で高くない。


15.   白鳥

    例年通り2012年くれに白鳥(オオハクチョウ、コハクチョウ、コブハクチョウ、黒鳥こくちょう) がシベリアから渡ってきました。 茨城県水戸市千波湖せんばこをはじめ、那珂なか瓜連うりづら小徳沼ことくぬま、ひたちなか市大島公園など、あちらこちらの湖や溜池ためいけで見られます。

(クリックするとが拡大します)
茨城県水戸市千波湖せんばこオオハクチョウ
2013年1月2日(水)
山本暁子さんが撮影
画像の自動切り替え方法はこちら 例1 のソース(source)と
例2 を参考にしました。


16.   〇〇”十文字 ”

    十字形に道路が交わる形態を普通「十字路」と言いますが、茨城県ひたちなか市付近では「十文字」と言っていました。 会話でも「〇〇十文字を右に曲がって、・・・」のように言っていたのです。 最近の道路標示では、ほとんどの交差点が「〇〇十字路」と表記されるようになりましたが、 下左図のように、ひたちなか市下宿しもじゅくにある国道6号線の十字路では堂々と「佐和十文字」と書かれています。 多分、この交差点は以前からこのように呼ばれて地名のように定着したのかも知れません。
    同じ6号線のこの交差点の次の交差点では、下右図のように、標準的な「稲田十字路」となっています。 が、歩道橋に書かれている地名「ひたちなか市稲田」と書かれているその直ぐ後に、文字が消された跡が見えます。 多分、以前はここも「ひたちなか市稲田十文字」、または、旧市名を付した「勝田市稲田十文字」と書かれていた可能性があります。 真相は不明です。
    現在は会話でも「〇〇十文字」とは余り言わなくなり、一般的な「〇〇交差点」と言うようになりつつあります。

(クリックすると全画面表示になります)
「〇〇十文字」という珍しい表記の交差点
2013年2月28日(木)撮影
(参考)標準的な交差点名
2013年3月2日(土)撮影

    水戸市千波町の旧国道6号線(現 県道)でも次のようにあります。この交差点にバス停はありませんが、近くのバス停名は「千波」となっています。

(クリックすると全画面表示になります)
水戸市の千波十文字
2014年3月7日(金)撮影

    ひたちなか市市毛いちげの国道6号線と県道の交差点名は「市毛十字路」ですが、 バス停は「市毛十文字」と呼び習わされてきた名称になっています。

交差点名は「市毛十字路」
2014年4月22日(火)撮影
バス停名は「市毛十文字」
2014年4月23日(水)撮影


17.   茨城県特有の苗字みょうじ

    茨城県には地元特有の苗字、および、他の県に比べてきわ立って多くある苗字がたくさんあります。 れてしまえば普通の苗字として認識できますので、地元の方は全国的に普通の苗字と思っているかも知れません。 どこの県でもその県特有の苗字がありますが、ここ、茨城県は特有の苗字の種類が多く、しかも、その各苗字を冠する方々がたくさん居られる、 ということが他の県とちょっと違うようです。茨城県(昔の大部分は常陸ひたちの国)の歴史の長さを感じます。 それらの苗字を列記してみます。なかには、他県にも多くあるかもしれません。 なお、茨城県の県央と県北地域を主としています。また、新字体でのみ表記します。

会沢あいざわさん、赤津さん、阿久津あ く つさん、あくつさん、 安島あじまさん、小豆畑あずはたさん、安蔵あんぞうさん、 井坂さん、石崎さん、磯崎さん、礒前いそざき、または、いそまえさん、市毛いちげさん、稲田さん、 岩間いわまさん、宇佐美う さ みさん、薄井うすいさん、 打越うちこしさん、海野うみのさん、宇留野う る のさん、 江幡えばたさん、海老沢えびさわさん、大内さん、大金さん、大曽根さん、 大貫おおぬきさん、大山さん、大和田さん、鬼沢おにざわさん、小野瀬さん、 小幡おばたさん、皆藤かいとうさん、加倉井かくらいさん、 鹿志村かしむらさん、梶山かじやまさん、加藤木かとうぎさん、 上遠野かとうのさん、神長さん、神永さん、鴨志田かも し ださん、川島さん、 川又さん、川俣かわまたさん、木内き うちさん、君島きみじまさん、 久野く のさん、 倉持くらもちさん、黒沢さん、黒羽くろはさん、軍司ぐんじさん、 郡司さん、小圷こあくつさん、 小池さん、鯉渕こいぶちさん、五位淵ごいぶちさん、小室こむろさん、 五来ごらいさん、佐川さん、笹島さん、佐竹さたけさん、沢畑さん、沢畠さん、 椎名しいなさん、菅谷すがやさん、 助川すけがわさん、須藤すとう、または、すどうさん、砂押すなおしさん、 住谷すみやさん、武石たけいしさん、田所さん、茅根ちのねさん、 寺門てらかどさん、 照沼てるぬまさん、飛田とびたさん、友常ともつねさん、 友部ともべさん、生田目なまため、または、なばためさん、 中根さん、滑川なめがわさん、額賀ぬかがさん、根本さん、芳賀は がさん、 はなわさん、桧山ひやまくさん、深作ふかさくさん、 深谷ふかやさん、真家まいえさん、前島さん、益子ましこさん、 真下ましもさん、やすさん、 谷田部や た べさん、弓野さん、横須賀さん、吉成よしなりさん、 米川よねかわさん、綿引わたひきさん、和地わ ちさん。


18.   関西での小3のときの「しりとり歌」

    兵庫県尼崎市立大庄おおしょう小学校3年のとき(1951年)に、口ずさんでいたしりとり歌があります。 これは国語の教科書で知ったのでした。ちょっと面白いので次にかかげます。 口に出すふし(アクセントと音調)は大阪弁です。

    「さよなら三角また来て四角、四角は豆腐とうふ、豆腐は白い、白いはウサギ、ウサギはねる、 跳ねるはカエル、カエルは青い、青いはキュウリ、キュウリは長い、長いは煙突えんとつ、煙突は黒い、 黒いはタドン、タドンは丸い。」

    これは、友達などの別れぎわの「わびしい」という気持ちを三角形にたとえて歌の出発点とし、 しりとりのように進んで、最後は心穏やかに「丸い」に例えてめくくっています。 工業都市の尼崎らしい「煙突」が出てきます。この歌は別れ際の気分の立て直しに効果がありました。



19.   初冬の筑波山

    2013年12月22日(日)午後に寒気が入り始めて弱い時雨しぐれも降ったあとの筑波山です。


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20.   私が設計した自宅について

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私が設計した自宅の平面図
    1986年頃、住宅建築のための財産贈与額が400万円以下のとき、贈与税免除という特別措置が2年間だけられました。 理由は、多分、建設業界の活気を復活させるためだと思います。 それで、私の(弘)( こちら 山本弘を参照)が私に、私の自宅の建築費として400万円を贈与してくれたのです。 それを受けて、私が中学校の職業家庭の授業で習っただけの知識で、我が自宅の平面図を2時間程度で仕上げました。 それが右の図面です。部屋の配置は、広さは違いますが、父の実家のそれを参考にしたのでした。 この平面図と合わせて、敷地内の自宅の配置を示す図面1枚も作りました。 さらに、大内等先生(上記7項、および、 こちら 大内先生を参照)のご指導を得て、構造設計計算書1枚も作成しました。 以上、平面図、敷地内配置図、構造設計計算書のたった3通を持って市役所建設課の県庁委託の職員に提示しますと、数分で、県からの建築許可が下りたのです。
    この許可証をもとに、大内等先生からご紹介いただいた工務店の社長さん(茨城県那珂郡東海村の 東海ロイヤルホテルの経営者でもあります)を通して、 400万円の家を建てて頂くことになりました。 私から提示したのは平面図のみで、他の細かな全ては建築者にお任せにしました。 具体的に建築にたずさわって頂いたのは、常陸太田市にある 竹沢木材(株)で、 そのハンサムでご親切な若旦那が監督に当っていました。 1987年3月に完成し、2020年の現在で築33年になりました。さすが木材屋さんだけあって、家中の柱にはふしがほとんどありません。 県内の素晴しい杉材を使って下さったようです。その様子を次の写真で示します。竹沢木材(株)様、本当に有難うございます。感謝いたしております。

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ほとんど節がないきれいな柱
2015年3月31日(水)夕方撮影



21.   私が感心している交通標語

    茨城県ひたちなか市田彦たびこの下田彦南交差点で国道6号線と交差する市道に私の好きな交通標語の看板の残骸が、下左の写真のようにあります。2016年春の強風で半分飛ばされてしまい、半分がそのまま残ったわけです。この道路は1970年代に新設され、定かではありませんが、そのころから看板が設置されていたのではないかと思います。
    さて、その標語は、

                    守ります ベルトに速度に 車間距離    (ひたちなか市交通安全協会)

なのです。自動車を運転するときに守るべき最も大事な3つのことを、五七五に、コンパクトにまとめた優れた標語だと思っています。ここを通る度に、感心して見ていました。
    ところが、2017年初夏に下右の写真のように新しい交通標語に架け替えられました。

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2016年春の強風で壊された交通標語
守ります ベルトに速度に 車間距離
2016年10月9日(日)撮影
架け替えられた交通標語
2017年8月10日(木)撮影



22.   メノウ鉱山に使われていたトロッコの線路

    1975年頃まで茨城県久慈郡山方町(現・常陸大宮市)諸沢もろさわ北富田きたとみだメノウ鉱山が稼働かどうしていました。メノウ鉱石は尾根に沿ってトロッコで先端まで運ばれ、先端から滑車かっしゃで谷を渡って谷向こうの道にトラックで積まれたそうです。
    私がここを最初に訪れたのは、1980年頃で、そのときは軌道あとの道は尾根伝おねづたいにあるものの、トロッコの痕跡こんせきは全くありませんでした。ただ、かたわらの斜面に坑道を掘るのに使用したと思われる重機が転がっており、軌道跡の道が尾根の先端に通じ、かろうじて、滑車で積み出したと思われる柱の跡が残っていました。道をつぶさに探すと、小さな犬釘いぬくぎが1個だけ見つかりました。
    私はメノウにはそれほど興味がなく、トロッコの軌道に興味があったため、その後、何回か訪れましたが、軌道に関する痕跡は見つからないままでした。
    ところが、1990年ごろの冬に何気なしに訪れた時に、軌道跡の脇の斜面に、分厚ぶあつく積み重なった枯れ葉と土砂の下からびだらけでち果てる寸前のトロッコの線路のポイント部分が放置されていたのを見付けたのです。錆がかなり進行して線路の表面が凸凹になっています。このまま錆びて無くなってしまうのは勿体もったいないと思った私は軽トラックを借りて、重いのでポイントを金ノコギリで3パーツに分断して軽トラックに積んで家に持ち帰ったわけです。現在(2019年8月)まで、2年に1度、錆止めの植物油(下註)を塗って保存し続けています。それが以下の画像です。

    (註)錆止めには、ペンキや鉱物油よりも植物油が一番です。私の経験から、植物油が錆の入った鉄の表面を保護する力が一番強いようです。

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2010年6月撮影
2014年2月撮影
メノウ鉱山で使われていたトロッコの線路


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2017年10月13日(木)
23.   NHK 連続テレビ小説「ひよっこ」の故里ふるさと「奥茨城村」のロケ地

    2017年前期の NHK 連続テレビ小説「ひよっこ」は9月30日(土)に、明るい目出度めでたさのうちに無事終りましたが、その架空の故里「奥茨城村」のロケ地の一つ、阿武隈高地の茨城県高萩市下田代に、2017年9月18日(月)の天気快晴の午後と、20日(水)曇の夕方に行って来ました。これを下の写真で示します。ここは高萩市中戸川から南に山の反対側にあり、標高320メートルです。最近、立派な広域農道ができて、道が分かりにくくなっていましたが、地図を目当てに行くと行けました。が、現地には駐車場はありませんので、集落から田んぼ越しにある舗装道路をゆっくり車で走らせながら撮影しました。
    ただし、ここのロケ地は家ではなくて、田んぼ道とバス停です。ロケ地の家は相当に離れた別の場所(このページの下にあります)です。
    このバス停付近に、9月18日(月)のときは見物人はいませんでしたが、9月20日(水)のときは、壮年のご夫婦、および、大きな機材を担いだ1人を含むどこかのテレビ局のスタッフらしい 5, 6 人の一団、の二組が、それぞれ、歩いていました。
    この集落は、まさに、茨城の山里の原風景を残していて、集落に密着する道は未舗装なので、車の立ち入りは遠慮しました。従って、テレビで放映された場所は、私が通る舗装道路から見ると、田んぼ越しに向かい側になります。逆に、集落からは田んぼ越しに舗装道路は見えないようです。
    このロケ地の場所を教えて下さったのは、私と同じ団地にお住いの佐川勝三氏で、敬老会に呼ばれた会場で隣り合わせたときでした。それまで、私が今まで阿武隈山中をドライブしてきた記憶を元に、北茨城市上君田付近やら、久慈郡大子町の浅川流域など、似たような景色を探していました。ロケ地と似たような風景は阿武隈山地の所々に散在していますが、NHK はあのロケ地をよく見つけたものだと感心しています。
    なお、この下田代から昔ながらの旧道を東の方向に下って行くと、「桃源」、および、「福平」という有難い名前の地名があります。

(クリックすると拡大でご覧なれます)

2017年9月18日(月)撮影
2017年9月18日(月)撮影


2017年9月18日(月)撮影
2017年9月20日(水)撮影
NHK 連続テレビ小説「ひよっこ」の故里「奥茨城村」のロケ地

この中で、テレビの画面と今回撮影した写真との比較を次に示します。

(クリックすると拡大でご覧なれます)

テレビ画面
以上、2017年10月17日(火)撮影

テレビ画面
2017年9月20日(水)撮影

以上、テレビ画面
2017年9月18日(月)撮影

2017年9月20日(水)撮影
以上、テレビ画面
以上、2017年10月13日(木)撮影

2017年9月18日(月)撮影

テレビ画面
2017年9月20日(水)撮影

テレビ画面
2017年9月18日(月)撮影

テレビ画面
2017年9月20日(水)撮影
テレビの画面と写真撮影との比較

(クリックすると拡大します)
2017年9月29日(金)
(クリックすると拡大します)
2017年9月29日(金)
    ひよっこの実家の内部および周辺は上記のロケ地ではありません。 そのロケ地の情報は次のサイト 例1) で見つけ、2017年9月29日(金)に私達も行って来ました。場所は、阿武隈高地の茨城県高萩市上君田字片添。標高は460メートル。しかし、地図と Google Earth を頼りに行ったのですが、ロケ地に入る道が見つかりません。仕方なく、近くの農家の方にいてやっと分かりました。先ず、その入り口には左の画像のように、「通り抜けできません」という看板が立っていました。道も細いので、私たちは道路の左肩に寄せて停め、歩いて入って行きました。やがて、開けた田んぼが現われ、左奥の方に、まさに、ひよっこの実家がありました。その実家に至る道端に右の画像のように、「まむしに注意」という看板があります。要するに、ここに来るのには覚悟がいる、ということです。
    ひよっこの実家の画像を、NHKウィークリー「ステラ」2017年9月29日号のグラビアに載っていた画像と私達が撮影した写真とを比較して、次に示します。

(クリックすると拡大でご覧なれます)
ステラ9月29日号のグラビア
2017年9月29日(金)撮影

テレビ画面
2017年9月29日(金)撮影
ステラのグラビアと写真撮影との比較


24.   日本の礎 名言集(下)に掲載の私の文

    2018年6月頃、日本叙勲者協会その2)から往復はがきで「貴方の人生訓を書いて送り返して下さい。」とありました。私は人生訓を特に考えたこともないのでそのまま放っていました。少し経ってから、小学校の時の宝塚少女歌劇団の訓示が気に入り、何となくそれに沿った考え方をしてきたことを思い出し、それと今の世に自分が主張したい事とを組み合わせば、地に落ちている政治家(首相を含む)たちへの指南になるのではないかと思い、以下の画像に示すような人生訓を書いて返信しました。そのことを忘れていた8月に、品位ありそうなお声の女性から、「貴方の人生訓を掲載することにしました。出版ができ次第、1冊献本いたしますので、5万円余を振り込んでいただければ。」と電話連絡があり、私が承知した2,3日後に書類入り封筒で連絡がありました。それで、私は一応、振り込んだのですが、一寸気がかりな感じも残っていたので、インターネットで調べて見ました。日本叙勲者協会は叙勲を授与する国の機関ではなく、叙勲者のネットワーク等にたずさわっている民間の任意団体のようです。ハッキリ言って、この協会は私の生活には何ら関係ありません。現在は記事が削除されてしまいましたが、実際、2018年6月6日付のあるサイト(現在は削除されています)に「・・・今回の依頼は、紛らわしい名を使い、本人のプライドをくすぐり逃げられないようにする悪徳商法の手口だと初めて気が付いた。即刻、その直後にメールで断りの意思を伝えた。・・・」と非難している方もおられました。しかし、せっかくの機会ですので、叙勲者たちに交じって私の文を掲載して頂けるのなら、5万円余は特にボラれる金額ほどでもない、いや、この機会は喜ばしくもあるかな、と思った訳です。

(クリックすると拡大でご覧なれます)
日本の礎 名言集(下)に載った私の文
日本叙勲者協会 2018年(平成30年)10月 第2版発行 397ページ


25.   ヒスイ(硬玉)

    私の両親は新潟県上越市出身です。1970年頃に父が所有していた新潟県の民族史・自然史の本を、たまたま、私が当時の大阪在住の父の住居に帰省していたときに見付け、その中には糸魚川のヒスイのことが詳しく書かれていました。それまで私はこのことを全く知りませんでしたが、小学生のころから、鉱物や化石をたまたま見つけたときに採集するなどの小さな趣味は持っていましたので、大阪と仙台の行き来の途中でもある糸魚川に寄って、姫川で1人ヒスイを探しました。この姫川、どの石も緑がかっていて、ヒスイとそうでない石との見分けが全くつきません。近くの人に聞くと、それは滅多に見つからず、緑がかった重い石はロディン岩などで、地元の人はキツネ石と呼ばれているそうです。夏に仙台から大阪に帰省するときに寄る程度なので、大きくて重くて物凄く硬い石を2個見付けたものの、ヒスイかどうかは分からないままで、今でも家に放置したままです。それ以外の石は採集していません。茨城県に就職した後、ある夏休みにたまたま思い出して姫川の河原を散歩していて、水辺の岩と大きな石の2メートルに積み重なった崖の途中に、色合いが周りと違う石を見付けたのが下の画像です。多分、これはヒスイに違いないとは思いましたが、後年、新潟県糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアム の学芸員の先生に鑑定して頂きました。この先生がこの分野で有名な 宮島 宏 先生その2) (その3) だと思います。この鑑定の様子を日記に記してありましたので、それを次に書きます。

2003年8月31日(日)雨,夕方から曇
    フォッサマグナ・ミュージアムに来て,しばらく待った学芸員さんにヒスイの鑑定をしてもらう.家から持ってきた500グラムの薄青い石は「間違いなくヒスイです.ヒスイは堅いから,角が尖ったままで,表面がキラキラしているのです.この石は,白いところと青いところの細かな結晶が入り混じっていて,白いのがヒスイ輝石,青いのがオンファス輝石です.青い色の発色は,不純物のチタンと鉄に拠ります.」と,教えて下さる.同行のA様が「ヒスイでよかったわねえ.おみやげもの屋で値段つけるといくらぐらいですか.」と,聞くと,学芸員さんは「おみやげもの屋によってまちまちですが,安くて2000円,高ければ1万円以上するでしょう.青色ヒスイは産出が少なくてヒスイの中では希少なので,もっと値が付いてよいと思いますね.」とおっしゃる.

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新潟県姫川産オンファス輝石(通称:青色ヒスイ) : 重さ 600グラム、幅×奥行×高さ 10×6×6 センチ
2020年11月28日に撮影。1990年頃に採取。

    上記の少し前の2003年8月上旬、福井大学に用事に出かけた途中で新潟県糸魚川に寄って、小滝川のヒスイ峡に同行の高専専攻科学生を案内したときに、そこにあるおみやげもの屋でビルマ産のきれいなヒスイを見付けてしまったのです。このおみやげ屋には、今まで何回か訪れていますが、買おうと思ったことはありませんでした。今回だけは気になって落ち着かず、大目をつぶって買ってしまいました。その様子が日記に残っていましたので次に記し、そのヒスイの大塊を下の画像に示します。

2003年8月5日(火)晴
    福井大学へ計測制御学会の研究発表に行く途中,北陸道の糸魚川ICにて下に降り,148号線を南下して小滝川に入り, M さんを案内するためにヒスイ峡を訪れる.ここは,雨はないが天気が悪い.明星山の急な崖の上半分は雲の中.お土産物屋で M さんにヒスイの小片 500円を差し上げる.中には,45000円均一の白の中に緑のヒスイの大きな原石がゴロゴロとある.その中に際立って緑の美しい石があって値段が見えなかったので,店のおばさんに「これは20万円くらいしますか.」と,聞くと,「値段が張ってないですか.」と言うので見ると,45000円だ.思ったより安いな,と思ったが高いのは買う積りがないので諦める.

8月6日(水)晴
    福井大学で計測制御学会に出席し,私達研究チームの M さんが研究発表を英語で行う.京都大学の研究者などから多くの質問があって,好評だった.

8月7日(木)晴
    研究発表の帰り道,5日に見た大きなヒスイ原石が欲しくなり,北陸道で糸魚川で降りてヒスイ峡に行く.観光客ちらほら.お土産物屋に入ってあのヒスイ原石を探すが,ない! お店のおばさんに「売れてしまったのですか」と聞くと,「ないですか? この2,3日は4万5千円のは売れてないんですけど.」と,いうので,僕が,「誰かが待っていったのかな.」というと,おば様がやってくる.やがて,別の場所でそれ見つけ,「誰かが買おうとして,途中で諦めておいたのだな.」と私は思った.兎に角,例のヒスイ原石を買うことが出来た.緑鮮やかで色も深い.私が「緑のない石も緑の美しい石もどうして同じ値段なのですか?」と聞くと、おば様が言うには,「ビルマの市場から全ての石をまとめて卸して来ますので,石の数で割ったお値段がこれです.」と淡々とおっしゃる。

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ミャンマー産ヒスイ : 重さ 8 キログラム、幅×奥行×高さ 25×18×13 センチ
2003年8月7日に4万5千円で購入

    再び、時間をさかのぼって、1985年頃に新潟県糸魚川市の姫川で、スイス・アルプスに見られるような山の形の白ヒスイを見付けたのが次の画像です。その他、ヒスイは全くありません。

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新潟県糸魚川市姫川の白ヒスイ
重さ 3.2 キログラム
幅×高さ×奥行 17.5×19.5×7.5 センチ

    姫川では次のジャスパー、または、緑のメノウも見つかっています。(1990年頃)

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新潟県糸魚川市姫川のジャスパー、または、緑メノウ
重さ 8 キログラム、幅×高さ×奥行 22×10×18 センチ

26.   所属学会

    現在加入している学術関係の所属学会は、電気学会、プラズマ核融合学会です。 以前、日本物理学会、電子情報通信学会、計測自動制御学会にも入っていました。 その他、学士会にも入っています。




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Updated: 2008.05.09, edited by N. Yamamoto.
Revised on Nov. 20, 2011, Feb. 7, 2012, Jun. 26, 2012, Oct. 30, 2012, Jan. 19, 2013, Feb. 13, 2013, Mar. 03, 2013, Mar. 14, 2013, Jun. 29, 2013, Oct. 14, 2013, Mar. 08, 2014, Apr. 23, 2014, May 08, 2014, May 20, 2014, May 31, 2014, Jun. 08, 2014, Jun. 27, 2014, Jul. 09, 2014, Jul. 27, 2014, Aug. 06, 2014, Aug. 24, 2014, Sep. 04, 2014, Sep. 28, 2014, Oct. 03, 2014, Oct. 07, 2014, Oct. 09, 2014, Nov. 08, 2014, Jan. 04, 2015, Jan. 22, 2015, Mar. 03, 2015, Mar. 16, 2015, Apr. 06, 2015, Apr. 09, 2015, Apr. 11, 2015, Jan. 20, 2016, Aug. 10, 2016, Oct. 04, 2016, Oct. 11, 2016, Aug. 26, 2017, Oct. 04, 2017, Oct. 09, 2017, Oct. 10, 2017, Oct. 12, 2017, Oct. 14, 2017, Oct. 18, 2017, Oct. 27, 2017, Jan. 23, 2019, Jul. 10, 2019, Aug. 13, 2019, Aug. 14, 2019, Aug. 23, 2019, Jan. 19, 2020, May 05, 2020, Nov. 28, 2020, Nov. 29, 2020, Jan. 14, 2021, Feb. 02, 2021, May 05, 2021, May 09, 2021 and Mar. 29, 2022.