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国家公務員上級甲種採用試験の受験記
(山本信雄)

    近年、公務員、特に、高級官吏に対する風当たりが強くなっています。理由は様々です。
    20世紀後半の国家公務員の採用試験は、上級(甲種または乙種)、中級、初級に分かれ、建前としてそれぞれ、大学卒、短大・高専卒、高校卒を対象としています。現在は、Ⅰ種、Ⅱ種、Ⅲ種に名称が変更されています。上級職(Ⅰ種)と中級(Ⅱ種)は、各専門分野毎に採用試験が実施されますが、特に、上級職(Ⅰ種)はまさに高級官吏かんりを意味し、これに合格することは至難の業と言われています。実際、上級職の合格者は有名大学、その大半が東大卒で占められ、他の大学の合格者が極めて少ないというのが現状かと思います。それ程、上級職に合格することは大変なのです。上級職の合格競争倍率は10倍から30倍に及ぶからです。それで、国家公務員を希望するかなりの大学卒は安全を考えて、中級職(Ⅱ種)をねらって受験しています。

    1966年3月卒業の東北大学工学部電子工学科同級生の榊原さかきばら盛吉その2その3その4(インターネット・アーカイブのバックアップ[backup at the Internet Archive]より抽出) )は学部4年のときに、電子工学の分野で上級甲種を受験し、受験者約800人中、東大を抑えてトップ成績で合格し、我々の評判になりました。トップということは、運がよければ、行く行くピラミッド構造を持つ公務員のトップである事務次官まで上り詰める可能性もあるからです。しかし、これはまれなケースで、多くは、途中から外かく団体等の理事長に就任します。
    榊原氏は、20歳代の若さで郵政省放送第2課長に昇格する等、NHKの放送技術の向上、衛星放送の実現、電気通信インフラ整備に尽力じんりょくされ、その活動は、一般書店の店頭でも放送通信関係の雑誌に著作論文を見ることができました。外郭団体である(財)東京ケーブルビジョンの理事長にも就任されていました。氏なくしては、現在および近未来の放送技術の実現が困難なものとなったでしょう。
    八田研究室での1年後輩の青木和之氏も同様の道をお進みになり、郵政省名古屋電波管理局長を経て、(財)道路交通情報通信システムセンター(VICSセンター)の常務理事をなされています。

   私は大学院工学研究科の修士課程へ進学したため、学部のときには国家公務員試験を受験しませんでした。修士課程2年終了の後、博士課程へ進学希望を持っていましたが、これが難しい。
    当時の研究室の教授は一国一城のあるじで権威があり、研究室内の全ての実質的な人事権を握っていましたから、希望通りには行きません。博士課程に進学できるためには、修士課程で目覚しい研究活動があり、外国雑誌(アメリカ等)に論文またはその速報が1通は掲載され、国内で研究者としてのある程度の認知がなされ、さらに大事なことは、教授の承認がないと駄目だめなのです。

    それで、修士課程2年のときに、「博士課程に進むことは無理かもしれない。」と思い、国家公務員採用試験(上級甲種)を受験したわけです。受験地は仙台。

   まず、1次試験国数理社ごちゃ混ぜの60問を120分で解く問題。解答は5者択一。中学校から高校をある程度真面目に勉強していれば、易しい問題です。しかし、数学は、例えば、サイコロを平面に開いたときの形は何か、というようなパズルまたは知能テストのよう。私は最後の2、3問が時間切れで解答できませんでした。時間が足りない!

    1次試験の合格通知が来ましたので、2次試験を受験。専門試験です。確か、電気磁気学、電気回路学、電子回路学、電子材料その他、だったように記憶していますが、よく覚えていません。解答中は無我夢中だからです。レベルは大学院入試問題よりはやや易しいかな、という感じでした。90パーセントは解いたとは思いますが、全問解くことはかないませんでした。

    2次試験合格通知の葉書が、秋に来ました。貴方は合格者65人中、16位で合格されましたと書いてあります。受験者数は約700人くらいだったでしょうか。(ただし、電子工学の分野で)。次に、3次試験です。これは、面接試験です。

    本省からの役人を含めて4人の面接官がいました。私は一番最後に呼ばれました。何で最後なのか?
    面接官「貴方は行政職を希望しますか?それとも研究職を希望しますか?」
    「研究職を希望します。」
   すると面接官は「こんなよい成績で合格しているのに、勿体もったいない。」と言わんばかりの顔をして面接官同士互いに顔を見合わせるではありませんか。
    面接官「なぜ、行政職ではなく、研究職を希望するのですか?」
    「研究が好きだからです。よい研究をして国のために奉仕したいと思います。性格上、行政には向いていないと思います。」
    面接官「行政職の方が将来性があると思うのですが、どうですか?」
    「やはり研究にまい進して行きたいと思います。」
    面接官「そうですか。分かりました。今後とも大いに頑張がんばってください。」
   わずか、2、3分の面接時間でした。
   大分後で分かったのですが、行政職に行くと局長への昇進は確実だそうで、研究職に行くと行政職ほどの昇進は望めないらしいのです。

    3次試験が終わってまもなく、あらゆる省庁から勧誘の書状が届きました。大蔵省、通産省、建設省、文部省、農林省、・・・、防衛庁、警察庁、海上保安庁、科学技術庁、経済企画庁、・・・。法務省だけ来なかったかな。しかも、私への宛書あてがきが実筆で達筆たっぴつすみ書きで。書状を積み重ねると20センチ近くになりました。私が好きな省庁へ面接に伺えば採用が決定されるわけです。

    この時点で、八田研究室のスタッフに合格の話をしたところ、八田吉典よしすけ教授同左1同左2)が聞きつけて私を呼び、「君ねぇ。国家公務員試験を通ったんだって?   君は博士課程に行って研究する気はないのかね。」と、間接的に博士課程への進学を了承して戴き、結局、各省庁への面接を断念しました。

    その後、八田先生のご指導の下、研究を継続することができました。

    八田先生は常日頃私たち門下生に、「今が大切たいせつ[下註] と説かれていました。
    八田先生には大変お世話になりました。感謝。合掌がっしょう

    [註] 學士會がくしかい会発行の U7(U SEVEN)vol.48 (March 2013) の10ページから始まる東北大学 金属材料研究所(略して金研)所長の新家にいのみ光雄教授の話に、18ページ最終行に、東北大学 金属材料研究所(1914年設立)の創立者であり、かの有名な KS鋼(1917年当時、世界最強の磁性材料)を発明した本多光太郎先生について、「先生が『今が大切』といった言葉が・・・」と書かれています。八田先生が本多先生のお言葉を引用されたのかどうかは分かりません。

         (クリックすると拡大でご覧なれます)


八田研究室の奥松島・野蒜のびる海岸と
大高森ハイキング
にて(宮城県東松島市)

1966年春の大潮おおしおのとき
右から、八田吉典よしすけ先生、山本信雄(私、MC1年)、
青木和之氏(学部4年)、つつみ正之氏(学部4年)

なお、2011年3月11日の東日本大震災で発生した
大津波(映像の4分の1から3分の1に進んだ部分)で、
この付近はかいめつした。



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Updated: 2007.9.5, edited by N. Yamamoto.
Revised on March 13, 2013, Mar. 03, 2015, Mar. 16, 2015, May 05, 2020, Jan. 14, 2021, Jan. 27, 2021, May 09, 2021 and Mar. 30, 2022.