2014年3月に理化学研究所(理研)のうら若き女性研究者・小保方晴子さんが世界的権威の学術研究論文誌である Nature に投稿された論文をめぐって、世間が騒いでいます。理研の内部調査により彼女に辛らつで可哀想な調査報告がマスコミに流されました。この調査報告は行き過ぎに思いました。訂正すべきと思います。彼女のうっかりミスが理研への尊敬の気持ちに影響を与えなかったのですが、この人間性を無視した、また、基本的人権を侵害するような薄っぺらな調査と判定に、理研への敬意の念が失せてしまいました。
ところが、2014年4月25日から4月28日に至る複数のテレビニュースで、その調査委員長の石井氏(理研)の共著論文2編(1つは2004年のアメリカ化学学会論文誌、もう1つは2008年のイギリスの Nature 関連の論文誌、のそれぞれに掲載)が、彼女と同じような図面の切り貼りという改造を行っていたことが分かり、石井氏は調査委員長の辞任を理研に申請し受理されました。石井氏は「切り貼りは認めるが、不正ではない」と述べていることから考えると、彼女についても「不正ではない」と判定が修正されるべきであると考えます。彼女への行き過ぎた、そして、誤った判定を撤回し、彼女の復権を急ぐべきです。そのための再調査が待たれます。調査委員会の結論そのものがこじつけの捏造だからだ。
しかし、多くの予想を裏切って、2014年5月8日(木)に理研側が再調査をしないとの発表がありました。理研は終った。理研の面々の人間性の失墜だ。理研はもう要らない。その翌日の5月9日(金)に、文部科学大臣から、理研の「特定研究法人」指定法案は、今国会見送りが発表されました。やっぱりな。理研が再調査をすると言っていれば、話が違っていたはずです。
思い起こすに、46年前、私(山本信雄)が東北大学工学部電子工学科八田研究室に博士課程在学中、指導教官の八田教授のもとに、日本物理学会から理研のある研究者(故人)からの投稿論文掲載審査(査読ともいう)が要請されました。八田教授ご自身よりも私の方がその論文の専門であったので、私を教授室に呼んで、「君。日本物理学会からこの論文審査を依頼された。これはちょうど君の専門分野であり、他にその専門の人がいないので、この論文を見てくれないか。この論文についての意見がまとまったら、僕のところに報告に来てほしい。」と私に論文審査のお手伝いを命じられました。私は2週間程度でその論文を詳細に検討した結果、新しい知見は散見されるものの、「日本物理学会誌に掲載するほどの価値は見られない。」と結論付け、八田教授に報告書を提出しました。それを受けて、八田先生ご自身も審査なされ、結局、「掲載不可」、と日本物理学会に審査報告を返されたようです。
数ヵ月後、日本物理学会が開催され、その理研の研究者と顔を合わせたとき、その方は何か気まずい顔で内心怒っているようでした。この専門分野の人は国内では少数派なので、上記論文審査に私が関わっているのではないか、と察していたのかもしれません。
また、アメリカ・コーネル大学のある研究者が日本物理学会誌に論文投稿した際のその論文掲載審査も、私の専門分野であった関係で、八田教授からお手伝いをさせていただきました。この論文の理論計算が間違っていましたので、私は数日かかって正しく計算し直して、八田教授にそれを報告し、八田教授が日本物理学会に返答した訳です。数ヵ月後に、再度、その研究者からの修正論文が八田教授を経て私に審査が託されました。で、私は正しく理論計算が直されているのを確かめて「掲載可」と判定し、八田教授を経て、日本物理学会に報告しました。翌年に、その論文が晴れて日本物理学会誌に掲載された訳です。なお、日本物理学会の掲載論文は昔からすべて英文です。
では、私自身の掲載論文はあるのか、といいますと、数は少ないですが、Physical Review 誌(アメリカ物理学会論文誌)、Applied Physical Letters 誌(アメリカ応用物理学会速報誌)、同左、電子通信学会論文誌(現在の電子通信情報学会誌)、電気学会論文誌に審査論文を掲載しています。
蛇足ですが、ある学会誌に旧帝大系の国立大学のある名誉教授が次のように述べて日本のやり方を非難しています。日本の研究者が学術論文誌に論文を載せる際、研究者の所属を「○○大学大学院○○医学研究科」のように大学院を明記しているのは、日本だけの「非国際化」であり、このガラパゴス現象を、欧米の科学者は嘲笑している、と。なお、その名誉教授は海外研究生活が長く、海外の科学研究の状況をよくご存知なのです。
私もかねてから、論文の頭の所属欄に「大学院」を付記することに違和感を覚えていました。千年以上の歴史を持つ西欧の大学に対して、歴史の浅い日本のこのやり方は、大変おこがましいことだと。なお、1990年代から2000年代にかけて文部省(その後、文部科学省)の旗振りで「大学院重点化」政策の下に、日本の全ての大学には至りませんが、例えば、「○○大学医学部」を「○○大学大学院医学研究科」という長たらしい名前に改変されたのですよ。これは国際的な科学分野にあっては日本の恥辱に見えます。何とかせよ。
2014年8月5日午前、理研・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹・副センター長(52)が隣接する先端医療センターの4階踊り場で自殺したという衝撃的なニュースが報道されました。報道を聞くところによると、3月にSTAP細胞捏造問題が出て以来、4月に心療内科で治療を受けていたそうです。そして、今回の大事件となったわけです。原因は調査委員会の無慈悲な懲戒予告を出していたからと私は思います。 笹井氏はSTAP論文の文章を審査に通るように構成し直しただけであり、図面の取り違えや不備に対しては全く関与していないのですよ。ノーベル賞級の大きな仕事や理研の先端設備を創生した大きな業績のある氏に対して、調査委員会はじめ理研は何という失礼なことをしてきたのだ。特に、理研のトップである理事長は何をやっているんだ。理事長の適切な判断と処置があれば、上記すべての不幸な結果は生じなかったでしょう。合掌
2014年12月26日(金)に、小保方氏の欠席のなか、理研で半年近くをかけて行った小保方氏本人による検証実験と理研側で別に行った検証実験の結果が記者会見にて公表されました。その内容は、STAP細胞は出現されなかったこと、全能細胞が発する緑色の蛍光はES細胞が混入したためであること、その他、論文に発表した図表も検証結果からは得られないこと等、でした。ES細胞の混入経路は不明とのこと。
結局、STAP細胞は存在しない、ということでSTAP細胞騒動に幕が下ろされました。数年の実験中、小保方氏はなぜ自己の実験の矛盾に気付かなかったのだろうか。これは私にとっては非常に不思議なことです。兎に角、残念な結末でした。
小保方晴子さんの著書「あの日」が2016年早春に発刊しましたので、読んでみました。未熟女性の感傷的な文章を予想していましたが、序論は予想通りでした。本文は入るや否や、専門用語の羅列。理系の人には読めますが、文系の人には難しいのでは、と思いました。
STAP細胞の顛末について詳しく述べられています。余りにも多くの偶然が成せる技だったのでしょうか? 途中で、誰も気付かなかったのかな? 奇妙なことです。しかし、なぜこのような結果になったのかという記述が、詳しく書かれているように見えるのですが、どこをとっても、あちこちを総合して判断しても、はっきりしないままです。結局、彼女の行ってきた実験、そして考察、結論が見えて来ないのは残念です。1つ言えることは、山梨大の若松さんが、もっと小保方さんと実験を密接に行っていれば、早い段階で間違いが見付けられたことでしょう。
科学上の大失敗談ということでは読み応えのある本ですが、ひたすら努力し続けて来られた小保方さんに尊敬の念を抱くところです。
調査委員会の発表を信用するとすれば、失敗の原因は、実験材料の作成、材料の管理や保管、および、移動の各段階のどの段階かで不用意にES細胞が混入してしまったのではないか、と考えられます。それは、実験に携わった人たちの連絡・連携不足、管理や保管の不備などが考えられます。
小保方さんが著書に述べていますが、笹井氏等が Nature への論文投稿にまい進している間にも、小保方さん自信、STAP細胞からSTAP幹細胞株化を再現できていなかったのです。一方、山梨大学の若松氏はSTAP幹細胞株化を彼しかできない方法で作った、とも書かれていて、双方矛盾を抱えたまま、笹井氏等によるSTAP細胞の論文作成が独り歩きしていた訳です。小保方さんは、ご自身では成功していないSTAP幹細胞株化よりも、その過程の現象論を論文に書きたかったのです。この著者間の意志疎通の無さが仇となっています。ところで、若松氏がどうしてSTAP幹細胞を作れることが出来たのか? これがカギとなりそうなのですが、調査委員会は小保方さんを中心とした理研内部でのみ調査し、若松氏側の調査がなされなかったことが決定的な調査ミスになった、と思います。小保方さんはあまりにもウブで、こんな心優しい素晴らしい人に何故、過酷な偶然が重なってしまったのでしょうか。とてもお気の毒です。ねつ造、改ざんなんてとんでもない、本当に、思い違いなどのうっかりミスに依ることは明らかです。それは、彼女があまりにも多忙な中で起こっているからで、彼女に微塵の悪意もないことは明らかです。世間やマスコミや多くの研究者、そして、お膝元の理研までもによる余りにも冷たい仕打ちには、ガッカリです。これが日本人の性か。日本人の正体を見た。ということで、今さらながら、日本人にはガッカリだ。
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