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茨城県で最も鄙びた所は、常陸太田市(旧:水府村)北方の標高600メートル前後の山間にある持方と安寺という極く小さな集落で、車で来るのは躊躇する所です。 |
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2010年1月26日(木)16時 |
持方から南下して、安寺集落の入り口までは難路で、その先(南の方)は整備された武生林道となります。(つぎの画像参照) |
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2007年7月20日(金)17時40分より |
安寺入り口からは整備された武生林道となり、見晴らし台など 3 つの展望台がありますが、全線にわたって 1 台の車にも出会いませんでした。
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当時は未だ樹木の背丈が低かったようです。 |
普通は、上記に通ったコースを反対に辿ります。それは、近年有名になった常陸太田市の竜神大吊橋の入り口を通過して北上し、さらに、竜神ダムの入り口をも通過して約1キロの右側に、「武生神社、武生山、竜神ふるさと村」と書かれた大きな看板があります。ここに、人家の間の右折する細い道があり、これが武生林道の入口です。最初の100メートルは細いですが、登るにつれ、次第に道幅が広くなります。全コース舗装です。
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[参考]水戸光圀公(水戸黄門)が、山の民の生活振りの視察と激励を兼ねて、安寺と持方を訪問したと伝えられているそうです。ただし、武生林道は当時そこまで通じていたとは思われませんので、私が訪れた2007年7月7日と同じ、小生瀬からのコースと思われます。その他、常陸の国の領内をよく廻っていたことが伝えられています。しかし、江戸往復以外で領外を旅することは殆どないそうですが、領内をよく視察されたことが、拡大解釈されて、全国を漫遊する現在の水戸黄門の話となっているようです。なお、不確かですが、黄門様は鎌倉までは足を伸ばしたことがあるそうです。 |
[武生山の頂上付近を通る武生林道の新旧](高岩展望台からの眺め) |
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(残念ながら、2010年以降、この展望台は危険なため立ち入り禁止になっています。) 1987年9月23日(水)夕方 |
しかし、2000年代になってからの改修工事の結果、下左の画像のように山が削 |
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15時41分撮影 |
2022年9月4日(日)19時58分から約1時間、フジテレビの「ポツンと一軒家」のの番組で、武生林道の南端近くに在ったポツンと一軒家が放送されました。 戦国時代の佐竹藩の家臣たちが、徳川の世になるときにここに逃れて住み着いたと言い、つい最近までは1つの集落をなしていたが、最近の高齢化による世代交代により、この1軒以外の家の人々は下に降りて行ったという。 2022年9月4日(日)19時58分放送 |
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